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読書の意義を考える
堂前 豊(経営学部准教授) あれは確か1983年の秋のことであった。小田急線に乗って富士方面に向かう車中、片手でつり革につかまり、567頁におよぶ分厚いハードカバーの『闇は暁を求めて』(ルネ・ユイグ、池田大作著、講談社)を、時のたつのも忘れてむさぼるように読んだのは。 「第一部 現代の危機」、「第二部 危機の歴史的意味」と読み進むにつれて、それまで全く見えていなかった世界が眼前に広がり自身の知的境涯がまるで何かの束縛からゆるやかに解放され、拡大していくような不思議な感覚に包まれていった。私は、当時、大学院経済学研究科の1年生であった。大学時代から経済学を中心とした書物は多少なりとも読み込んでいたが、それらを根本から支えリードできる思想・哲学を探求する作業がまことに不十分であったことを、そのとき痛感した。 その後、私は、『文明・西と東』(カレルギー対談)、『21世紀への対話』(トインビー対談)、『人間革命と人間の条件』(マルロー対談)、『21世紀への警鐘』(ペッチェイ対談)などの対談集、さらに、『人間革命』、『生命を語る』、『私の釈尊観』、『私の仏教観』、『続・私の仏教観』、『私の天台観』、『仏法・西と東』、『政治と宗教』、『科学と宗教』、『立正安国論講義』、『御義口伝講義』などを貪るように読んでいった。対談で語られた思想・哲学をより深く知りたいと思ったからである。当時、絶版もしくは文庫本でしか入手できないものも多かった。神田の古本屋をしばしば巡り、ハードカバーの単行本を見つけたときの興奮は今も忘れられない。 創立者は、『青春対話―21世紀の主役に語る』のなかで、「良書は、教師であり、先輩であり、父であり、母のごとく偉大な存在です。良書は、そこに「智慧」の泉があり、「命の泉」があり、「星」があり、人の「善なる魂」があるのです。」と語られている。私が創立者の著作に抱いた感慨はまさにその通りのものであった。以後、創立者の著作は私の「頭脳と精神の「ガソリン」」となり、「そこから力を得て、創造し、闘争し、前進していく」源泉となってきた。私は、これら「究極の良書」との出会いに深く感謝している。とともに、もっと早く、時間のたっぷりあった学部時代にめぐり会いたかったと思うこともしばしばである。 私が青雲の志を抱いて上京したのは1979年春のことであった。経済学を学び、日本経済の発展に貢献したいと考えていた私に、専門性の次元ではあるけれど、やはり忘れられない書物との出会いはあった。『現代経済学―価格分析の論理―』(J.M.ヘンダーソン、R.E.クォント著、小宮龍太郎、兼光秀郎訳)である。それは当時、定評のあった、大学院・
烽オくは学部上級レベルのテキストで、マサチューセッツ工科大学の上級生が読んでいるとの話も伝わっていた。それなら、自分はもっと早く、1年次に挑戦してみようと思ったのである。おそらく、私が世界を意識した最初のできごとであった。 原書のタイトルは、Microeconomic Theory-A Mathematical Approach-。私は、まず高校で使った数学のテキストを読み直し、次いで、巻末の数学付録を参考にしつつ、微分・積分と線形代数の大学生向けテキストを読んだ。そのうえで、読書ノートを克明につけながら何度も読みこんでいった。複雑に絡み合い、相互に連関する経済の世界を、ここまで簡潔・明瞭に表現できるものなのか。――徐々に、私は感嘆の思いを深くしていった。高校時代に数学や物理の学習を通して学んだ科学的思考というものが、実は驚くほどの知的パワーを秘めていたことに気づかされたのである。 その後、翻訳者の一人、兼光秀郎教授の講義を受ける機会を得た。よどみなく語られる講義に感嘆しつつ、自身の理解の凹凸がなだらかに矯正され、よりクリアーになっていく心地よさに浸った。そのとき、授業とは追体験なのだな、との思いを深くした。教授も学生も、同じ専門分野に、時として同じ書物を通じて挑戦している。一歩先を行く教授が自身の理解をどこまで明晰に語れるか、後を追いかける学生が自分自身でどこまで肉薄できているのか。そこに授業の成否のひとつの鍵があると感じたものである。 ともあれ、読書とは、人生と学問を決する根本の営為であると思う。「今何を読んでいるのか?」と自分に問いかけたとき、常に明快な答えを自身に投げ返せるような日常でありたいと、私は、今、改めて決意している。 |
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