図書館という空間

西田 哲史(WLC講師)

 

図書館という空間には一種独特な雰囲気が漂っている。それは古書から最新の書籍にいたる膨大な数の書物が放つ香り、音、空気の流れとそこに集う人間が織りなす微妙なハーモニーとでも言えるだろうか。今でも図書館に一歩足を踏み入れると心地よい緊張感がある。私が15期生として創価大学に入学した1985年当時、池田記念講堂や工学部棟などの建物も無く、正門を入って右手に威風堂々とそびえる中央図書館の雄姿が圧巻であったのを今でも良く憶えている。

 

学部、院生時代を通じて図書館を実によく利用させて頂いた。それは単に定期試験前に駆け込み的に利用するのではなく、レポートの作成、ゼミの報告準備、時間が空いた時に小説・雑誌・新聞等を読んだりと、事ある毎に足を運んでいた。大学院生になると書庫に入れるという、当時で言えばちょっとした特権を得られるわけだが、閉館時間に気が付かず、職員の方が探しに来るなど、迷惑を掛けたりしたこともしばしばあったが、私にとってはいい思い出になっている。恥ずかしながら、この閉架図書を実際に閲覧出来るようになってから初めて、創価大学中央図書館が実に多くの貴重な、また希少な書籍や資料を所有していることを知り、時に興奮し、また感動もした。

 

私事で恐縮だが、1994年の秋からドイツ連邦共和国のビーレフェルト大学の哲学・歴史・神学学部に博士論文執筆のために籍を置き研究する機会に恵まれた。そこでもまた大学へ行けば必ず図書館に足を運ぶのが日課となっていた。このビーレフェルト大学というのは、第2次世界大戦後の人口増加と就学率上昇を背景に、創価大学とほぼ同時期の1969年に「改革大学」とのスローガンの下、数学、法学、社会学の3学部、260名の学生数で開学したドイツでも歴史の浅い大学である。その後、学部数も増え、2万名弱の学生数を擁する総合大学となって現在に至っている。

 

さて、話をビーレフェルト大学の図書館に戻すが、利用者がゆっくりと勉強できるように1700名分の机と椅子が用意され、その蔵書数は200万冊を越える。驚かされるのは、その大部分(約95%)が開架図書で実際に自分の手に取って見ることができることだ。また、開館時間も午前8時から翌日の午前1時(土日は9時から22時)までと閉館時間を気にせずに利用することができる。更に図書の貸し出し数に制限は無く、私も常時20~30冊位借りていた。コンピューターによる検索システムを導入したのも古く、毎年改良が重ねられ大変に使い勝手の良いシステムが構築・導入されている。もちろん、このビーレフェルトの大学図書館はドイツ国内にあってもむしろ例外的な存在だが、開学当初から先取り気質を全面に出した「改革大学」の名に相応しい一面だと思う。どの学生に聞いても、また図書館職員と話しても「ドイツ一、いやヨーロッパ一の図書館だ」と自負していたのも頷ける。

 

昨年(2006年)の4月より、縁あってここ母校の教壇に立たせて頂けることになり、再び中央図書館にもお世話になることが多くなった。私が在籍していた1985-1994年当時と比較すると、各種サービスの充実はもちろんのこと、個人学習室やセミナー室と多数のパソコンを備えた4F閲覧室が増設され、学部生でも条件させ満たせば閉架図書の閲覧も可能になるなど、常に学生を中心に据えた発展を看取できる。図書館が「知性・資料の宝庫」であることに疑義を挟む者は無いであろう。更に、ドイツの文豪ゲーテが「書物は新しい知人のようなものである」と言っているように、図書館には書物の数だけ新しい出会いがあると言ってよい。そして、その出会いの場を提供してくれる図書館という空間を 読書、調べもの、勉強等、利用の仕方は人それぞれだろうが -、一人でも多くの創大生に活用して欲しいと願う。