Soka Book Wave特別講演②

「文学から何を学ぶか――学生時代の読書について」

 

伊藤 貴雄(創価教育研究所講師) 

 

1.はじめに――自己紹介をかねて

 

こんにちは、伊藤と申します。創価大学の22期生で、今から15年ほど前に文学部人文学科に入学しました。出身は熊本です。関西創価高校を出ました。

 

もともと美術が大好きで、絵描きになろうかと思っていたくらいでしたが、その道に打ち込むには才能に自信が無かったので、芸術の歴史を研究しようと思い、最初は歴史学を志していました。ところが実際に研究しようと思うと、芸術の本場に行かなければならない。私が関心を持っていたのはドイツの美術史で、卒論の準備のため学部3年時にドイツへ行ったのですが、いざ現地で実物に接すると、そのスケールの大きさといい精神性の深さといい、およそ日本にいたときには想像もつかない世界に出会って、大変なカルチャーショックを受けました。“ああ、こういう世界を本格的に研究するには、この土地に住まないといけないな”と痛感しました。ところが、それだけの経済力もないし、気力もない。それで、歴史を研究するのはさすがにつらいと思ったんですね。その代わり、本の世界ならば、現地で本を買って日本で勉強すればいいわけなので、まずは文化の背景にある思想から研究を始めてみよう、そう思って、非常に単純な理由で史学専攻から哲学専攻に鞍替えしました。もちろん、実際やってみると、そんな甘い世界ではなかったのですが。

 

もともと私は本が好きで、たくさん読んだ方だと思います。しかし、本好きな人が何か人間的に優れているかというと全然そうではなくて、私は小学校のときからケンカが弱くていじめられっ子で、スポーツも苦手で家に引きこもっていた人間でしたから、本を読むしかなかったというだけのことで、皆さん方に人生のアドバイスのようなものは何もして差し上げられない。そういう人間が話をしても何の説得力もないのですけれども、とにかく学生時代の読書について話して欲しいということですので、何らかのお手伝いができればとの気持ちでお引き受けしました。今日は焦点を文学作品にしぼって、私がこれまで学んだことを、ざっくばらんにお話したいと思います。皆さんも気楽にお聞きになってください。

 

2.本に親しむさまざまな方法

 

本題に入る前にもう一言。皆さんのなかには本が苦手な人もおられるでしょうが、苦手な人には苦手な人なりのアプローチがあっていいと思います。私がそもそも本好きになったきっかけは、小学校5年生のとき、テレビをつけたらたまたま『ウインザーの陽気な女房たち』という演劇をやっていたんです。ホームドラマのどたばた喜劇みたいな内容なんですが、とにかく面白いんですね。テレビが終わったとき、その原作者がシェイクスピアという人であることを知りました。私はこの人の喜劇をもっと読んでみたいと思って、図書館からシェイクスピアの作品集を借りました。読むと、『ロミオとジュリエット』が入っていたりしてね (笑)。“なんだこれ、めちゃめちゃ悲しいじゃないか”ということで、“ああ、シェイクスピアという人は、とっても面白い喜劇も書けば、とっても悲しいメロドラマも書く人なんだ”と分かりました。

 

私はシェイクスピアが大好きなんですけれども、全ての作品をまず映画で見ましたね。シェイクスピアの作品は全部で37あって、全てイギリスで映画化されているんですよ。この大学のAVライブラリーにもあります。だから映画から名作に入っていくという道もあるんです。他にも、トルストイの『戦争と平和』とか、『アンナ・カレーニナ』とか、ユゴーの『レ・ミゼラブル』とか、名前は聞いているけれど本屋で見ると“分厚くて読む気がしない”というものも大体映画になっています。

 

映画の次に入りやすいものとしては、少年少女版の名作シリーズがあります。岩波ジュニア文庫などもそうです。例えば、『レ・ミゼラブル』が『ああ無情』とか、あるいは主人公の名前をとって『ジャン・バルジャン物語』というタイトルで出ています。こういう本も案外馬鹿にできないもので、読むと、まずストーリーが頭に入るわけです。『レ・ミゼラブル』のような長編の原作は、話があっちに飛んだりこっちに飛んだりしますので、一度途中で挫折すると人物関係などを忘れてしまって、後日再開するのがとてもおっくうになってしまうんです。でも、あらかじめ少年少女版でストーリーをつかんでおいてから原作を読むと、話が複雑で袋小路に迷い込んだときにも、“全体のなかのどこにいるか”が分かっているので、休み休みしながらでも続けられるんです。

 

さらに、「そもそも活字自体が苦手です」という方には、漫画という手段もあります。手塚治虫という漫画家がいますね。彼は名作を漫画化するのがとても得意で、ドストエフスキーの『罪と罰』やゲーテの『ファウスト』も漫画化しています。とくに『ファウスト』は、20歳のとき、40歳のとき、60歳のときと、3回も漫画化しています。3回目は未完になりましたが、手塚自身が人生の節目を迎えるたびに『ファウスト』と格闘して成長している、という姿も私たちには勉強になります。漫画だからといって馬鹿にできないし、映画だからといって軽んじられないし、少年少女版だからといって無視はできないのです。本が苦手な人は、そういったものから入っていっても宜しいかと思います。

 

あと、文学とは違って、思想や哲学の名著というのがあります。そういうものも“難しいなあ”と思うときは、まず入門書を読めばいいんですよ。ルソーの『エミール』だったら『エミール入門』という本があります。それを先に読んでおくと、実際に原著を読むときに、心の準備ができていますから挫折せずにすむんですね。もちろん、入門書は、それを書いた人物の主観が多分に入っていますから、いずれは自分自身で原著に当たらねばなりませんが。とにかく、本の世界に入る道はいくつもあるんだということを申し上げたいのです。

 

3.社会を見る眼を培う――文学における法

 

 では、本題に入ります。まず申し上げたいのは、文学の世界がなにも文学部の独占物ではないということです。文学は一部の文学青年だけが読むようなものではなくて、本来、広く万人に開かれたものなのです。今日ここには教育学部の方もおられる、経済学部の方もおられる、法学部の方もおられる。むしろ、そうした社会科学系の分野を学んでいるからこそ、文学が面白く読めるということもあります。

 

文学というのは、決して人間の内面だけを描いたものではなく、広く社会の問題を真剣に受け止めて書かれたものです。大文学と呼ばれるものを読むと、政治、経済、法律、教育、芸術、宗教、そうした人間社会のさまざまな現象に対して広く深い視座を持てるようになるということです。およそすぐれた文学はかならず、“国家とは何か” “社会とは何か” “文明とは何か”という重要問題に対して、真剣な思索を展開しています。作家の鋭い社会観察の眼差しは、私たちが“いかに生きるべきか”を考える上で欠かせない道標となってくれます。

 

 今日は、何回も映画化されているような有名な文学作品のみ例にとって、お話しします。そうすることで申し上げたいのは、偉大な文学は社会に対する鋭い観察眼をもっている、という一事に尽きます。とりわけ、今から例に挙げる“文学の最高峰”と呼ばれるものは、いずれも必ずクライマックスの場面で裁判が描かれる。ストーリー展開上重要な箇所が、裁判のシーンになっている。アメリカではロースクール等で「法と文学」という講座を開いているところもありますが、文学と法とは古来密接な関係にあるんです。

 

 例えば、ゲーテの『ファウスト』は、ヨーロッパで最初に“死刑廃止”を訴えた文学なんです。ゲーテはもともと法律家を目指していたので非常に法に詳しい。若いときには裁判にも関わっていました。子ども殺しといって、未婚の母が自分で産んだばかりの子どもを殺すという事件が、18、19世紀のヨーロッパで頻発していました。男は罰せられず女性が死刑になっていました。そうした事件の裁判にゲーテ自身が携わったこともあって、“本当は男が悪いはずなのになぜ女性が罰されなければならないのか”と、法制度への疑問、死刑制度への怒りがふつふつと沸いていたんですね。それが『ファウスト』執筆の原動力の一つとなったんです。

 

 ユゴーの『レ・ミゼラブル』でも、主人公のジャン・バルジャンが裁判によって不幸のどん底に叩き落される。出獄後改心した彼は事業家として活躍し、市長にまでなるけれど、さあこれからというときにまた裁判にかけられるんです。『九十三年』では、軍事裁判での対論がストーリーを締めくくります。他にも、デュマの『モンテ・クリスト伯』では最初に裁判の話が出てきて、主人公のエドモン・ダンテスは無実の罪で牢獄に入れられてしまう。ドストエフスキーの『罪と罰』では最後のところで主人公ラスコーリニコフが法の裁きを受けます。『カラマーゾフの兄弟』ではストーリーの最後の5分の1は裁判の議事録です。トルストイの『復活』では、最初の裁判のシーンで主人公ネフリュードフの良心に火が灯ります。

 

 なぜこれほどまでに世界文学が裁判を描いているかというと、裁判にこそ社会の歪みが一番投影されているからです。そもそも人が人を裁くということは、いかなる根拠のもとに許されているのか。死刑制度のように、人が人の命を意のままに処分できるというのは、実に残酷で恐るべきことではないのか。そういった根本問題に優れた文学者は関心を集中させるものですから、偉大な文学作品というものは必ず裁判を描いているんです。再度申し上げますが、偉大な文学作品は単なる個人の悩みを書いているものではありません。社会の矛盾や不平等に真正面から光を当て、今の社会のどこが間違っているのかを告発する。ですから、経済学部の人が読もうと、法律学部の人が読もうと、教育学部の人が読もうと、社会を見る眼を培うという点で重要な意義をもっているんです。

 

 こう考えてみると、創立者の小説『人間革命』もまた世界文学の伝統に立脚しています。全部で12巻ありますが、第11巻の内容はまるまる裁判に割かれているんですね。その名も「裁判」というタイトルの章があって、若き創立者が無実の罪で逮捕されて権力の横暴さを体験された事が書かれています。そこではまさに社会の歪みに対する強烈な問題提起がなされている。『人間革命』もまた、ゲーテやユゴー、トルストイやドストエフスキー等の人道主義文学の系譜に位置しているのです。

 

4.時代背景に視野を及ぼす――『車輪の下』、『歓喜の歌』を例に

 

 もう少し付け加えたいことがあります。私は大学院ではカントやショーペンハウアーといった哲学者の研究をしましたが、その傍らでドイツ文学の勉強もしました。その中で2つ発見があったので、皆さんの勉強のご参考に、お伝えしたいと思います。

 

 私は昨年、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を新訳しました(『ヘルマン・ヘッセ全集4』臨川書店刊)。今まで12種類の翻訳があるので、13番目の翻訳になります。最初は新訳してもあまり意味はないんじゃないかと思ったのですが、始めてみるとその予想が間違っていたことが分かりました。読解につまったときに、旧訳を見ると、12人の解釈がそれぞれ違うんです。そこで、ドイツ人の友人に質問を繰り返しながら翻訳して、結果として旧訳の解釈を100箇所以上訂正しました。こうして翻訳しながら、びっくりした事がありました。

 

 一般的に『車輪の下』はこういう本だと言われています。主人公の少年が一生懸命に受験勉強して名門校に入学するが、勉強に疲れてノイローゼになり、最後は川に落ちて死んでしまう。それで日本では受験生が共感できる「受験小説」と思われている。しかし、翻訳してみて、そんな単純な小説ではないことが分かった。よく読んでみると、学校教育を批判するところで必ず国家主義や軍国主義を批判しています。なぜヘッセはこんなことを書いたのだろう、と思って丹念に調べていくと、彼が、詰め込み教育や受験制度に象徴されている「国家の暴力」を批判したのだということが分かりました。つまり、国家も、国家に雇われた教師も、しょせんは「国家に役立つ人間」を作ろうとしているにすぎない。子どもたち一人一人が幸せになるためにではなく、富国強兵のため、ドイツが世界一の軍事国家になるために教育に力をいれていた。そういうドイツの国家主義的傾向を若きヘッセが見出して、痛烈に批判したのが『車輪の下』だったんです。

 

 興味深いのが、『車輪の下』が書かれたのが1903年の10月頃ということ。この時機を世界的視野で見るとどうなるか。帝国主義全盛の時代なんですが、じつは牧口常三郎の『人生地理学』が出版されたのが1903年10月なんです。この『人生地理学』もまた、日本の詰め込み教育の病根である国家主義を批判した本です。文学や思想は世界的なスケールで読むと面白い。1903年10月に、ヨーロッパではヘルマン・ヘッセが、日本では牧口常三郎が、ともに富国強兵政策の手段としての詰め込み教育を弾劾しているわけです。二人とも30歳前後の青年でした。『車輪の下』は受験小説と言われ、『人生地理学』は受験参考書のように言われているけれど、本当はもっと深い、人類平和を志向した一流の思想書なんです。

 

 どんな文学作品も、必ずその時代を反映していますから、時代背景に視野を及ぼして読むということが大事です。そうすることで、作品の本来のメッセージが見えてくるだけでなく、私たちが社会への洞察力を身につけるきっかけにもなるのです。そして同じことは、文学のみならず芸術についても言えます。ベートーベンの作曲した『歓喜の歌』を例にとってみましょう。

 

 ベートーベンがシラーの「歓喜に寄せて」という詩に音楽をつけようと考えたのは、1793年頃でした。この詩は、フランス革命のような民主革命をドイツに期待した内容で、ベートーベンもその理想に胸打たれたんですね。ところが原作者シラーがその後、詩を改訂するんです。当初「一国の政治革命」を待望する詩だったのが、改訂されて「人類の精神革命」を志向する詩になるんですね。シラーは、フランス革命後の政治的混乱に胸を痛め、そのときカントという哲学者の本を読んで感銘を受け、政治革命は精神革命に裏付けられてはじめて完成する、と考えたんです。さて、ベートーベンもまた、シラーと同じく政治革命に限界を覚えて、カントを読むようになります。そして何年もかけて、改訂版の「歓喜に寄せて」に音楽をつけるんです。

 

 カントは「国際連合の父」と言われる人で、『永遠平和のために』という本を書いています。ヨーロッパ中が戦争に明け暮れていたときに、カントが平和論を著し、彼と苦悩を共有したシラーやベートーベンが、おのが思いを芸術に託した。今『歓喜の歌』はEUの歌として、人類融和のシンボルとして歌われていますが、それは故無きことではないんですね。音楽ひとつをとっても、必ずその時代の民衆の平和への切実な願いや人権意識、あるいは社会悪への告発、そういったものが込められています。『歓喜の歌』を歌うということは、同時に、人類平和を意志することでもあるんです。

 

5.おわりに

 

 最後に、もう一言付け加えさせてください。創価大学の創立者は、若いときに非常に多くの良書を読まれていて、読書ノートを作っておられるんです。一番本を読まれたのは18歳から19歳にかけての時期で、皆さんと同じぐらいの歳でした。その読書ノートを見ると、例えばペスタロッチという教育者の本から5つの文章を抜書きされている。私は、その抜書きを、創立者がじっさいに読まれたペスタロッチの本と照らし合わせてみて、創立者がなぜその5箇所に感銘を受けられたのか、考えてみました。すると、民衆教育のために悩み苦しみ格闘しているペスタロッチに共感し、彼の理想を日本社会で継承しようとされている、そういう創立者の姿が見えてくるんですね。“軍国主義の悲惨を繰り返さないために、本当の民衆教育が必要である”という思いでペスタロッチを読んでおられる。

 

 創立者は1冊1冊の本を、“自分が生を享けたのは何のためか。自分がこの世で成し遂げるべき仕事は何なのか”という思索の糧として読まれている。そういう重大な問いかけのもとで1冊1冊の本を読まれたからこそ、読書が深い体験として活かされていったのだろうと思います。皆さんも、この青春時代に大いに本を読んで大いに社会に対する眼力を養い、創価大学の卒業生として大いに社会に貢献していっていただきたいと念願しています。ご清聴ありがとうございました。

 

 <質疑応答>

 

質問:先生は学生時代に、読書時間をどのようにとっていましたか?

 

回答:私は1年生のとき友光寮という寮にいました。1つ上に大変な先輩がおられて、その方の部屋に行くと、本棚のすべての段に二重に本が入っている上、入りきれなくてそこらじゅう山積みになっているんです。本の上を歩いてるような先輩だったんですね(笑)。この方は1日に名著を2、3冊読むんです。優秀な人でした。私は当時、薄い文庫本を読むのにも2、3日かかっていた。まして長編小説を読むのは苦手でした。読むのが遅かったから。で、少しでもその先輩のようになりたいと思って、毎日3、4時間は必ず本を読むと決めて挑戦をはじめたんです。

 

 でも、その先輩にはとうてい敵わないから、自分の無力さに絶望して…『車輪の下』の主人公みたいだったね(笑)。私は理系じゃないもんだから、ミステリーを読んでも最後まで犯人が分からないタイプ(笑)。“木の葉がそよ風に輝いていた”とか書いてあると、センチメンタルな人間なもんですから、うっとりと惚れ込んでいる間にストーリーを忘れてしまう(笑)。ということでなかなか前に進まないんですね。それで、あまり長くない、読みやすそうな小説からはじめました。毎日続けて、100日目あたりからコツがつかめてきました。小説というのは、細かいところをこだわるよりも、大きな流れをつかんだほうがいいときがあります。特に長編小説の場合はそうですね。

 

 慣れてきてからやっと、大文学に挑戦してみようかなと思い、ゲーテの『ファウスト』を読みました。それからトルストイ、ドストエフスキーに挑戦してみました。それでもやっぱりその先輩のすごさに圧倒されて、あるとき、「私みたいな人間がいるよりは、先輩1人いてくださった方が人類平和のためになりますから、わたくしは人生やめたいと思います」という話をしたんだよね(笑)。そしたら、彼はロマン・ロランという作家の『ジャン・クリストフ』という、これまた分厚い本を持ってきて、「ここをご覧なさい、人それぞれに自分の役目があるんだよ。君には君の役目があるんだよ」と仰ってくださったことを今も思い出します。

 

 また、その先輩に「どうやって自分たちはこの寮にいい伝統を残せるでしょうか」と聞いたときに、「そうだねえ、今から君たちが本を読んでもちょっと遅いかもしれないから…。本を買って、その背表紙の数で後輩に影響を与えなさい」と言われてね(笑)。それから私の本の収集癖が始まって、ついには部屋に本が入りきらなくなってしまって。今では5000冊はありますね。ただ、創価大学は行事が多くて、2年生頃からいろいろと忙しくなって、落ち着いて本が読めなくなりましたけれど。やっぱり、毎日決まった時間を読書に使うというのは必要かもしれないですね。1日に10分でも20分でも読めば、1年間で『レ・ミゼラブル』が全巻読めますよ。

 

 今、創価大学で「教養」という言葉が言われていますね。教養というと、日本では意味が狭くなってしまって、“幅広い知識”くらいにしか思われていませんが、本当の教養というのはそういうことではないんですね。アメリカのハッチンズという人が書いた『偉大なる会話』という本があるんです。これは教養とは何かを追究した名著です。巻末付録に、ヨーロッパの古典名著を10年間かけてどう読むか、という読書計画表があるんですね。私もやってみようということで、1年目までやったんですよ、2年目から続きませんでしたけど(笑)。これには、プラトンの『国家』とか、ロックの『市民政府論』とか、ルソーの『社会契約論』とか、スミスの『国富論』とか、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』とか、法学部や経済学部の方が得意そうな本が挙げられています。

 

 何がいいたいかというと、欧米の人たちにとって、教養というのは、ただ知識を身につければいいということではないんですね。ルソーの『社会契約論』にせよ、ロックの『市民政府論』にせよ、先ほど申し上げたカントの『永遠平和のために』にせよ、欧米の名著というのは全部、社会制度の基礎となっているんです。彼らはそういった名著を読むことによって、現代社会をどうしていくべきか考える糧にするんですよね。読書というのは、知識のためとか資格のためではないんです。自分たちの社会をどうしていくべきかという根本問題を考えるための材料なんです。

 

 教養は、ドイツ語で“ビルドゥング”(形成)と言いますけど、人間として成長することを教養というんですね。単に知識を増やすということではなくて、自分たちの社会をどうしていくべきか考えるため、総合的な幅広い眼差しと深い判断力を身に付けることなんです。そのために古典名著がある、ということです。日本だと、本を読んでいる人は知識があって素晴らしいなという印象があるかもしれませんけれども、そういうことは素晴らしいことでもなんでも無くて、大事なことは、ルソーを読むにしろ、ロック、カントを読むにせよ、現代社会をどうするかという一点をめぐって欧米の人は勉強しているということです。

 

質問:読書ノートをつけておられましたか?

 

回答:大学1年生の時、18歳の時だけつけましたね。ノート1冊ですけど、いろんな本を読んで、自分なりに考えたこと感じたことを書いていました。でもろくな事は書いていません。恥ずかしいもんですよ。ラブストーリーなんかが出てくるとね、自分の好きな子とヒロインとを重ね合わせたりしてね(笑)。そういうことを書いたりしたもんですから、あのノートはもう門外不出ですね(笑)。私の死とともに墓にもって行きます。2年生以降は、ノートをつけなきゃと思うと精神的ストレスになるもんですから、途中で辞めました。

 

 今私がやっているのは、小さいメモ帳に読んだ本の題名だけ書いていますね。昔はいろいろ抜書きとかしていたんですけれど、そのうち付箋を貼るようになりました。最近はそれも面倒くさくなって、紙の再利用ですけれど、コピーの裏紙を八等分ぐらいにして、気になる所に挟んでいます。まあ、一時期ノートをつけるのもいいかもしれないですね。私自身のノートは赤面せずには読めないので読まないようにしています。何で赤面するかというと、創立者の読書ノートと比べたら思想性の浅さに恥ずかしくなるんですよね。

 

質問:読書感想文について、どういった読書感想文が人に影響を与えるのでしょうか?

 

回答:私は、小学校のころから読書感想文は苦手でして、書いたことはあまり無いんですね。それに日本の学校でやっている読書感想文というのも本当にいいのかどうか、という疑問もあるんですね。どんなに文章が下手でも、今まで誰も気がついたことの無いような部分に着目したものであれば、優れた感想文ではないかなと私は思うんです。一つの作品についても、10人いたら10通りの読み方、100人いたら100通りの読み方があっていいわけですから、誰もが書きそうな感想ではなくて、誰もがやったことのない解釈を示したものが素晴らしいのではないかなというのが、わたしの唯一の基準です。

 

 新しい解釈を見出すひとつの方法として、主人公以外の登場人物に自分の身を置いてみる、というのがあります。私たちは、ついつい主人公の視点から他の人物をながめてしまいがちなんですが、そこをあえて脇役の視点から主人公を見てみるんです。このまえ、文学部講師の寒河江光徳さんから教えていただいたんですが、稲垣直樹著『レ・ミゼラブルを読みなおす』という本では、有名なジャン・バルジャンの改心のシーンを、ミリエル司教の側から解釈しているそうです。ジャン・バルジャンが、泊めてもらった司教の家から銀の食器を盗んで警察につかまるけれど、司教が“この食器はあなたに差し上げたものです”といって無実にしてくれる、あのシーンです。

 

 ふつうは、ジャン・バルジャンが司教の温かさに触れて良心が目覚めたんだな、という解釈で終わってしまうんですが、司教を中心にして読み直すとまた違った味わいがある。ユゴーは、司教を、貧しい人々になんでも与える慈悲の人として描いていますが、よく読むと、その司教にも「銀の食器」に対する執着が残っていた、と書いてある。そのたったひとつの執着を断ち切るきっかけとなったのが、ジャン・バルジャンだったわけです。それで司教は、ジャン・バルジャンを神の使いと捉え、彼に感謝して銀の食器を与えたのです。これは、人物を換えて感情移入してみると新しい解釈ができるという好例ですね。

 

質問:青年時代に、本を読む中で自分自身の使命や生き方をどのように見つめて感じてきたのでしょうか?

 

回答:現にこの社会に何も貢献していない、還元もしていない私が自分の体験を語っても何の説得力もないので、お答えできないだろうなあとは思うのですが。ひとつのみ申し上げますと、今でもときどきユゴーやドストエフスキーの本を思い返して、自分が夢を失ってはいけないなと思います。“夢”、“原点”、“志”といってもいいと思いますけれども、就職するとついつい日々の業務に追われて、自分が勉強しているのは何のためなのか、見失ってしまうことがあるんですね。創立者もおっしゃっていますが、今までの学問には大きな転倒があった。学者が自己満足のために論文を書いているようではいけない。

 

 魯迅の有名なエピソードがありますよね。あるとき一人の学生が魯迅の本を買いにきた。以来、魯迅は、自分の文章が彼の前途を誤らせることがないだろうかと思って、筆が鈍るようになったというのです。ものを書くということは、自己満足で済むものではなくて、それを読んだ人がどういう影響を受けるのかということ、その文章によってどういう影響を社会に及ぼすのかということに責任を負って考えなければいけない。

 

 ユゴーとかゲーテとかディケンズとか、100年も200年もたって私たちの心を揺さぶるというのは、すさまじいパワーだと思いますね。それに比べると、私なんかは何にもできませんが、創価大学を出た人間として自分が書くこの一行の文章が、少なくとも日本社会にとってどういう意味をもつのかという事を常に問いかけていきたいと思います。そうした原点に立ち返るためにも、学生時代に読んだ本を手放せないんですね。ホコリだらけになって、体には悪いんですけれども、手放すにはどうしても惜しいんです。時々それらの本を開くと、“自分が文章を書くということは、人の人生に関わること、もっと言えば日本の社会に関わること、未来に関わることなんだ”と思うんです。誰にも役に立たない文章は書くまいと、そういう気持ちです。自戒の念と決意をこめて、そうお答えしたいと思います。

 

質問:速読法というものがありますが、先生が本を早く読むために工夫されたこと努力されたことはありますか?

 

回答:そもそも速読法が必要かどうか、本のタイプによって異なると思うんですね。例えば、薄い本でもカントの『永遠平和論』とか、デカルトの『方法序説』のようなものを速く読むと、チンプンカンプンになりますよね。ああいう優れた名著、いわゆる思想書というものは論理がありますから。それはむしろ時間をかけるべきだと思います。

 

 ただ、『戦争と平和』とかね。これは登場人物が559人出てくるんです。そのうち2人は犬なんですけれどもね(笑)。しかも同一人物が、苗字で呼ばれたり、名前で呼ばれたり、ミドルネームで呼ばれたり、さらには綽名で呼ばれたりして、ただでさえ559人もいるのに、2000人ぐらいいるように思えてくる。それをこの人とこの人が親戚で、この人とこの人が恋人で、この人とこの人が友人で…と頭の中で構築していたら、読めなくなってしまいますからね。やっぱり小説の時には、大筋をつかむのが大事でしょうね。

 

 でも先程申し上げたように、私も最初からそれができたのではないんです。大学1年生のときに、日本語ですがディケンズをたくさん読みました。ディケンズの小説はストーリーの展開が面白いんですね。現代映画の草分けとなったエイゼンシュタインという映画監督は、ディケンズの描くようにカメラを動かしていたら、いい映画が撮れた、と言っているほどです。このディケンズを読んでいるうちに、細部にこだわるよりも大きくストーリーを掴むほうが得意になってきました。文学作品の場合にはそういうやり方もあるでしょう。

 

 2年生のとき、ルソーの『社会契約論』を数時間で読んだことがありますが、愚かでした。まったく頭に残っていませんから。それから10数年たって、真剣に読もうとしたら、何日もかかりました。それに、3種類の翻訳を並べて見たら、それぞれ訳が違うんです。意味が通っている翻訳のほうが正しいですね。事のついでに、翻訳に関して、ちょっと述べておきましょう。

 

往々にして外国文学が読みにくいというのは、じつは翻訳者の責任なんですね。もともとユゴーもゲーテも読みやすい言葉で書いています。だから読みやすい翻訳で読むということが大事です。私の経験からいえば、フランス文学で読みやすいのは、創価大学の名誉教授でもある辻昶先生の翻訳です。私は昔、辻先生がご存命のとき、ユゴーを研究したいと思ったことがあって、無鉄砲にも手紙を出したことがあるんです。そしたら、一度夏に遊びにいらっしゃいということで、一緒に避暑旅行に行かせて頂いたんです。

 

 あるとき私は「本当に先生の翻訳は素晴らしいですね」と申し上げたんです。すると先生は、「私は日本語の単語帳を作ったんだ」と言われるんです。先生は5ヶ国語話された人で、創立者のスピーチにも何度か登場しています。フランス語以外にも、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語と、50万語分の単語帳を作られたそうです。50万語というのはとんでもない数です。ゲーテが一生で使った単語の種類が約2万語ですから。大学受験に必要な英単語は5000語くらいですね。それなのに辻先生は、日本語の単語帳も2万語分作られたというんです。びっくりしました。日本文学の名作を読みながら、いいと感じた表現は全部単語帳に記したと仰るんです。

 

 辻訳の良さを示す例をひとつご紹介しましょう。『九十三年』という作品があります。最初に申し上げたように、最後に裁判のシーンがあります。そこで「法の裁きがすべてだ」という人物と、「いや、法だけではだめなんだ。もっと高い人間愛というものが必要なんだ」という人物との、激しい対話が展開されるんです。その場面で、他の人の翻訳ではこうなっています。

 

   「正義の上に、いったいなにがあるかね?」

   「公正な心があります」

 

他方、辻訳は次のようになっています。

 

   「それでは、法の裁きの上に何があるのかね?」

   「良心の裁きがあります」

 

 全然違いますね。もちろん、“正義”と対峙する“公正な心”、という訳も間違ってはいない。しかし、正義という言葉は日本語ではポジティヴな意味で受け取られることが多いので、これだとユゴーの批判精神が伝わりにくい。そこで、“法の裁き”と対峙する“良心の裁き”、と訳すことで、著者ユゴーのメッセージが判然として、我々の胸に迫ってくるんです。読むスピードがなかなか上がらないというときは、翻訳者の責任もありますから、読みやすい翻訳がいいですよ、というのが1つのアドバイスです。

 

話が下手でお許しください。皆さんのこれからの栄えある人生を念願して、私は退場します(笑)。(拍手)