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読書と私 井戸川 行人(東洋哲学研究所事務局長) 「今日はどんな本を読んだのか」、「その本の出だしを暗記しているか」、「何が書かれているのか」、「著者が言わんとしていることは何か」、「そこから何を学んだのか」。 激務の中、恩師である戸田先生からの矢継早の質問に、若き日の池田先生は時に冷や汗をかき、時に書物の一節を諳んじながら、懸命に答えられていたという。いかに多忙でも、本を読み、学びぬくことが大切である。そのことを教えられたエピソードとして、いつも心に刻んでいる。 私が本格的に読書に取り組み始めたきっかけは、創大卒業後、創価学会本部の職員となり、学者やマスコミ関係者と会う機会が多い職場に配属されたことにあった。政治、経済、国際情勢など多岐に渡る話題についていけず、勉強不足を痛感した。「このままではいけない」という焦燥感に駆られ、必死になって本を読み始めた。 ある時、仕事で会った年配の記者にこんなことを聞かれた。「あなたは創価学会の職員になって、これからどんな仕事がしたいのか」と。何気なく聞いてみただけだったのかも知れないが、当事の私にとっては根本的な問いを突きつけられたような気がした。「君はこの先、社会人としてどのような力を身につけ、どんな仕事を成し遂げていくつもりなのか」と。「これだと言える答えをつかみたい」との思いから、読書にも一段と拍車がかかった。 その頃、こんな出来事もあった。満員電車の中でつり革につかまり、本に熱中していると、私の肩を叩く人がいる。振り返ると、見ず知らずの男性から、「それ、面白いですか」と聞かれた。相手は、私が手にしている本の著者だという。はじめは半信半疑だったが、話の内容や風貌からまぎれもなくご本人であることを確信した。率直に感想を述べると、その人が電車を降りていくまで会話が弾んだ。 読書中、突然著者が現れるという珍事を経験したのは、後にも先にもこの一度だけだが、その時私が手にしていた本は、『同時代としての戦後』。私に話しかけてきたその人物とは、後にノーベル文学賞を受賞された大江健三郎氏だった。 あれから二十数星霜。常に手元に本がある。読みたい本の数に、読書ペースが追いつかない。読むほどに、読むべき本の多さを知り、新たな世界への好奇心が湧いてくる。我が「読書の道」は未だ道半ばであるが、これまで読んできた本にはどれほど教えられ、勇気づけられ、希望を与えられてきたか計り知れない。 ベルグソンの言葉に、「思索の人として行動し、行動の人として思索せよ」とあるが、思索と行動の往復作業の中で欠かせないのが読書だと思う。今、自分はどのような状況に置かれているのか。どのような時代を生きているのか。この社会はどこへ向かおうとしているのか。それに対して人類の英知は、何を教えてくれているのか。古今東西の書物には、今、自分が直面している現実を、多角的な視点からとらえ直す智慧が散りばめられている。現実の前に行き詰まり、埋没しかけている自分を客観視する視点を与えてくれる。原点に立ち返り、見失いかけていた理想を再確認させられることもある。そうした思索と行動の往復作業の中でこそ、自分なりの判断基準や価値観が構築され、揺るぎない生き方が貫けるのではないかと思っている。 創立者池田先生の傘寿を祝うフォーラムが、昨年末、創大で開催された。席上、ロシア大使館のガルージン公使は、ロシアのロシュコフ前大使、ベールィ大使と相次いで会談された折の創立者が、それぞれの大使に数多くの質問をされたことを通して、こう述べられたという。 「池田先生は、すでに、大学を創立するほどの大教育者でありながら、“さらに多くのことを知ろう”という姿で、皆の模範となってくださっている。『もっともっと学問を深めなさい』というメッセージを私たちに伝えてくださったのだと思います」と。 80歳になられた今もなお、瑞々しい心と情熱で学び続けておられる創立者。「今日はこの本を読みました」。「その内容はこうでした」。若き日の思いのままに、戸田先生との心の対話を、今も続けておられるかのようである。その姿を最良のお手本として、自身もまた、どこまでも学び、思索し、行動し続ける人生でありたい。 |
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