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生物化学のブレークスルー ~その発見をした人と場所~ 山之端 万里(工学部准教授) 今回、SOKA BOOK WAVEという活動を私は初めて知りました。講義よりも緊張しますが、熱心に活動されているということで、今回の依頼を受けさせていただきました。 科学者の読む本といっても人によってもちろん違います。私は、1984年から86年にかけてニューヨーク州立大学に研究留学いたしました。そのときの様々な体験と合わせて、本にまつわるエピソードを紹介しながら読書についてお話ししたいと思います。 私の専門は脳神経科学で、再生科学の分野の基礎研究をやっています。アルツハイマーやパーキンソン病というのはニューロンという神経細胞が死んでしまって起こる病気ですが、それをどのように治療すればいいかということが今、世界中で研究されています。創価大学に来てからは、その基礎研究をやっています。 私は専門外の科学啓蒙書を多く読むように努めてきまして、それにより視野を広げてきました。アメリカでは科学を希望する学生は多くいます。なぜか、私が考えるのに、それはアメリカには優秀なサイエンスライターがいるからと思っています。 その人たちは文筆で生計を立てている人もいれば、サイエンスライター自身が科学者であったりもします。そのサイエンスライターが研究者にインタビューをして、その人の人間関係などを通じて取材してストーリーを作る。これが非常におもしろく人気があるからです。 先月(2007年11月)の3日~7日、米国カリフォルニア州のサンディエゴで、神経科学では世界で一番大きい北米神経科学会がありました。そこには、公式の発表で3万4千人が集まりました。企業が約5000人、その他は研究者などで、発表者は若い人が大半です。いかにサイエンスに興味をもって、それを職業としている人が多いかわかると思います。日本からも多くの若い研究者が参加していました。この学会の登録料は265から305ドル(学生は60から85ドル)と安くはありませんが、研究発表ではとても活発な議論がされていました。アメリカはビジネスの国ですので、こうやって自分の行っている学問の成果を社会に応用することに熱心です。それが若い人たちに魅力なのかもしれません。 最初に、『動く遺伝子―トウモロコシとノーベル賞』というタイトルの本があります。 ノーベル賞受賞者のバーバラ・マクリントックという遺伝の研究者に、エブリン・フォックス・ケラ-という女性のサイエンスライターがインタビューしてできた本です。ケラ-は理論物理学者です。これは1983年に執筆されましたが、1980年代半ばまで遺伝子は変化しないというのが通説でした。人間は人間、猿は猿のままで、別のものに変化したり、動いたりということはありません。しかしバーバラ・マクリントックは、60年間もの長い間トウモロコシの研究に没頭し、ついに遺伝子は固定されたものではなく、動くものということを発見しました。長い間、少ない専門家を除いてほとんど誰からも見向きもされなかった研究でしたが、そのトウモロコシの研究で遺伝子が動くことが証明されたのです。 バーバラ・マクリントックがノーベル賞を受賞したのは、81歳のときです。私は1984年に研究留学先で彼女の講演を聴く機会を得ました。雪のため車が渋滞して講演会場に15分ほど後れて入ってきた81歳の小柄な女性は、とてもおもしろい講演を行い、どんな質問にも明快に答えていました。内容は複雑でしたが、非常に魅力的な講演で、とても感動しました。そこでこの人はどういう人なのだろうという気持ちが起こり、この人の本を読んでみたのです。このようにして本を読むと、どんどん視野が広がっていきます。 なぜ60年間、見向きもされなかった研究が認知されたのか。そこには日本人が関わっていました。利根川進という人をご存知でしょうか。現在彼は、マサチューセッツ工科大学で教授をしていますが、1987年に日本人ではじめてノーベル医学生理学賞を受賞した人です。彼は分子生物学の専門家ですが、人間の免疫の遺伝子の中にも動くものがあることを証明して、それで評価を受け、マクリントック、利根川進の2人とも受賞しました。私はこのように研究者や研究内容に興味を持ち、その人のことを知ろうとしたことから、関連の本を良く読むようになりました。 利根川進と立花隆が発刊した対談集『精神と物質』という本があります。これは単なる免疫の話ではありません。彼は様々な場所での勉強を経て、スイスのバーゼル研究所で研究をしたのですが、利根川進はこの本の中で、ノーベル賞を受賞するまでの体験を書いています。彼は、始めからノーベル賞を受賞するような内容の研究をしていたのではありませんでした。バーゼルには、科学の天才のような人がいて、何でも良く科学の事を知っていて、その人に免疫の分野で何が一番の問題かということを聞き、その答えを、研究のテーマとして取り組んだらノーベル賞を受賞することができた、という経緯があるそうです。また女性の優秀なサポーティングスタッフがいて、その人にも支えられてノーベル賞を受賞するに至ったそうです。 免疫の関連では、アレルギーを含め内容が複雑ですが、日本の免疫学の第一人者に、多田富雄(ただとみお)という人がいます。『免疫の意味論』という本を書いているのですが、とてもわかりやすく書いてあります。免疫は教科書を読んでもみんな投げ出すような内容ですが、この本を読むと非常によくわかります。 また、安保徹(あぼとおる)という人がいます。当時はなかなか学説が認められなかったのですが、『自律神経と免疫の法則―体調と免疫のメカニズム』という本を出していて、これも非常にわかりやすい本になっています。 このように、最近、日本でも専門の分野とはいえ、一般の方々に専門的な最先端の内容をわかりやすく伝える本が数多く出版されるようになりました。このような類の本を読むと、とてもよく理解することができます。 あるとき、私は、留学先の担当教授の講演を聴きに行きました。そこで私の先生は、全然違う分野の講演タイトルで、内容も全く違う分野の講演を行っていたのです。 彼は自分の専門をもっているのですが、全く違う分野でも一流の仕事をしているということを垣間見まして、何でこんなに幅広くできるのだろうととても驚きました。日本の狭い研究システムとは全く違うことを実感しました。この1人の研究者が、幅広い話題をもっていることについては、後のところ紹介する本でも驚く様な事がありました。 私のいた研究室には様々な国から研究者が来ていました。私は、インドから来た研究者にある本を読んだことがあるかと聞かれました。それはワトソン(25歳)とクリック(30歳)が1953年に発表した歴史的な研究で、この内容は『二重らせん』という名前のDNAの構造を解き明かした本で、ワトソンが1953年に書いた本です。彼は、この当時すでに世界的に有名になっていたライナス・ポーリング博士からアドバイスを受けながら、イギリスのケンブリッジ大学で学びました。そこで、DNAの研究を始めたということです。この本も一般の人たちでも理解できるよう、非常にわかりやすく書いてあります。この本の中では、科学のことは当然として研究上の赤裸々な人間関係などのことを書いていて、なぜそこまで暴露しているのか、と話題になるほどでした。非常に面白い本です。このような本を読むと、とても難しい内容でも、楽しく入っていくことができます。 この『二重らせん』という本の中で、私は、私の留学先の先生の名前が書かれていることを発見しました。どうして私の先生の名前がこういうところに出てきているのか、と非常に不思議に思ったのですが、昔この分野の研究をしていたということが後でわかりました。その当時の研究がひと段落してまた別の仕事をやったのだということでした。このことを通して、本をきちんと読んだ上で、いろんな人と話をしないと、本当の楽しさはないことを実感しました。相手が何をやってきたのかということが、本を読んでよくわかります。同じ分野ならまだいいのですが、別の分野だと全然わかりません。このような経験から、なるべく違う分野の本を読むよう努力するようにしました。 もう一つ関連していますが面白い本があります。それはH・F・ジャドソンが書いた『分子生物学の夜明け』という本で、この本を読んで、とても啓発され、本を読まないと損をするなと実感したものです。 この本の中に物理学者のシュレディンガーが書いた『生命とは何か』という本を紹介したところがあります。これは1950年代、まだ物理学優勢で、生物はまだサイエンティフィックではなかった時代に、物理学者から見た生物という内容で表された本です。この本を読んで、物理学から生物学に転向した研究者がいます。先に述べた、ワトソンもその中の1人でした。本はすごい力を持っています。『二重らせん』の中でも、ワトソンたちは、ライナス・ポーリングの『一般化学』とシュレディンガーの『生命とは何か』をむさぼるように読んで勉強したと書いてあります。 この他に、『生命とは何か それからの50年―未来の生命科学への指針』という本があります。これは何かというと、DNAの二重らせんが発見されてから50年ということです。この本では、二重らせんが発見されてから、現在はどうなっているのか、ということが書いてあります。本というのはずっとつながりがあります。本を読むことによって、その時から比べてどうなったか、流れがわかり、時代がよくわかります。そして科学者たちがどういうふうに考えてきたかがよくわかるのです。 コールドスプリングハーバー研究所は、ニューヨークのマンハッタンからロングアイランドと云う隣の島で、車で1時間くらい東に行った、海岸の近くにある素晴らしい環境に建っている研究所です。ここに当時、先に紹介したバーバラ・マクリントックがいて、ジェームス・ワトソンが当時所長をしていました。この分子生物学研究所には、夏に世界から約1000人もの研究者がきます。そして様々な勉強のコースがあり、夏だけ集まって、講義を受けるというシステムがあります。この研究所は、若い研究者たちが新しい情報を取り入れ、啓発をうけ、また世界中に散っていくという拠点になっています。現在も夏になると、若い人たちが来て自分の好きなコースを選び勉強をしています。 私の研究にも関連するのですが、1996年に羊のドリーというクローン羊がつくられました。これはどういうものか。マスコミでも取り上げられていますが、正確な情報は伝わってないのが現状です。 おもしろい本で、『第2の創造-クローン羊ドリーと生命操作の時代』という本があります。クリーン羊をつくった研究者とサイエンスライターが共著で出した、その意味ではめずらしい本です。私は、この本ほどクローン羊の正確な情報を書いているものを見たことがありません。非常によく書かれています。この中に書かれていることが最先端の内容で、とてもびっくりしました。今でも十分通用する内容となっています。この中には、マスコミでは発表されなかったことが書いてあります。それは、この研究者たちが、クローンはできないと断言していることです。このようなことはマスコミでは発表されません。彼らはセンセーショナルなことだけを取り上げるからです。それでも専門家たちはできないと言っています。なぜかというと、彼らは全く同じ遺伝子をつかって4匹の羊をつくったのですが、性格、髪(毛)の色などが全部違っていたというのです。遺伝子が同じでもそれらが同じにならないということを彼らは結論しています。その理由もはっきりしています。 こういう情報が削られてクローンが取り上げられるのですが、この本には明確に書いてあります。したがって、人間のクローンなど様々なことが言われていますが、それができないということは既にはっきりしているのです。今でも、遺伝子が一緒だったらクローンができると思っている人たちが多くいますが、それは違うということです。非常におもしろい本でした。 また興味深いこととして、6歳の羊の細胞をつかった場合、何年生きるのかということが話題になりました。例えば人間の60歳の細胞を使い、平均年齢が85歳だとすると、残り25年しか生きられないのか、または0歳の状態から始まるのかという問題です。これはやはり遺伝子の寿命で、60歳の細胞を使ったら残り25年しか生きられないということになりました。若い細胞でないと長くは生きられないということです。 レイチェル・カーソンという人がいます。皆さんご存知のように、彼女は、環境問題をいち早く指摘した人で、当時のケネディ大統領を動かし、議会に農薬調査団もできました。私は彼女の有名な『サイレント・スプリング』(沈黙の春)という本を読みましたが、他にも自然の驚異を題材に水辺の生物について書かれた本を4冊出していて、全て米国でベストセラーになっています。なぜ日本で広く紹介されていないのか、とても不思議です。彼女はもともと文学者志望だったそうですが、高校のときの生物の先生が非常に良い先生だったので生物に転向しました。彼女は文学の才能があるので、一般の人にもわかりやすく、自然の驚異などを非常にわかりやすく解説しています。そこが素晴らしいところです。彼女は、自然の素晴らしさが農薬などによって失われてはいけないと思い、本を出したわけですが、私はその思いや背景を、彼女の本を読むことによってよく知ることができました。 次に、また面白い本を紹介します。タイトルは『朝からキャビアを』というもので、セント・ジェルジというビタミンCを発見した研究者です。彼は優秀な研究者なのですが、落胆し研究をやめようとしていました。そんなときに、ある研究会に行き、自分が研究していることが、自分の名前が、講演者から4回も出てきた。これに勇気付けられてまた研究を進めていったそうです。後に、ノーベル賞を受賞しています。 また、『エデンの恐竜ー知能の源流をたずねて』という本は、カール・セーガンが書いたものです。地球がはじまってから今に至るまで1年のカレンダーにしたらどうなるか、ということの元になっている本です。人間の精神の進化について幅広く解り易く書いています。 次に最近読んだ本で、『若き数学者のアメリカ』『遥かなるケンブリッジー数学者のイギリス』という本があります。これは『国家の品格』で有名な藤原正彦の著書です。彼は数学者なのですが、内容は解り易くとても面白い本でした。この本で、世の中にいる天才的な数学者は、だいたい同じ場所から出現すると言っています。そして100%共通する項目として、自然のきれいなところでしか生まれない、と述べて、それは、イギリスとインドと言っています。そして自分で確かめに行き、納得したそうです。 先に述べたバーバラ・マクリントックの著書で、『生物の共生』という本があります。これは1983年に書かれたもので、当時から“共生”という言葉を使っていたのです。最先端の人たちが、いかに自然との関わりを大事にしていたかがよくわかります。そしてその中にサイエンスの素晴らしさを発見していくのだと思います。私もとても納得することができました。 『世間学への招待』という本があります。現在私は留学生を対象とした日本研究を担当しています。日本の国はどういう国なのかということは、留学して初めてわかったのですが、それでもまだモヤモヤするものがありました。それがこの本を読んで全て解決しました。日本のシステムというのはアメリカとは全然違うのだなと。この著者は、世間学として捉えていますが、世間という言葉は英語にはありません。それではなぜ日本には世間という言葉があるのか。 私はアメリカで生活して、大きなカルチャーショックを受けました。あるとき女子高校生が、自分のお母さんに「I Love You」と書いている紙をお母さん目の前に、両手で掲げて見せていました。自分のお母さんに、掲げて見せる。そんなことは日本ではしないと思いますが、お母さんの誕生日ということでそのようにしたそうです。なぜそうするのか。それは、アメリカという国は、言葉を使わないと気持ちが通じない国だということだと思います。全て言葉です。様々な国の人がいるアメリカでは、言葉で発しないと相手が何を考えているのかわかりません。共通の基盤というものが多様で、気持ちが通じないのでしょう。日本の場合は、大抵の場合、言葉は最小限に必要であり、それで気持ちが伝わることがあります。共通の基盤があるからはないでしょうか。 私は日本人の感想を留学生に聞いてみました。すると、日本の学生は、言っていることとやっていることが全然違うと言うのです。よくあることとして、「今度遊びに来ない?」と言います。それで実際に行ったら不思議な顔をされたという経験をした留学生がいました。 日本人にとってはほとんど挨拶代わりになってしまっているこの言葉ですが、彼ら留学生にとってはそんなことはありえないことです。アメリカ社会でもありえません。ここに言葉の希薄さのようなものがあります。「そんなこと言わなくてもお互いの気持ちはわかっているじゃないの」ということが世間だということです。日本人にしか通用しない“世間”というものがあるのだと思います。 もう一つ興味深いことがありました。それは州立大学で講師をやっていた日本人が、海外の国際会議に出席した帰りに、空港で逮捕されました。それは昔に学生運動を何かやっていて、リストに載っていたからだそうですが、そこで身時かなアメリカの人たちはどういう行動をとったのか。 まず、彼の所属している州立大学は、ニューヨークタイムズという有名な新聞に、「不当逮捕をした」と大きくキャンペーンをはりました。そしてみんなでその人の奥さんや子どもにまで励ましを送るのです。徹底して守るという思想、人権擁護の思想が根付いているのです。その理由は、過去はいろいろやったかもしれないが、アメリカにきて家族を持ち10年間まじめにやってきている人をなぜ逮捕するのか、ということです。非常に単純です。そういう人権というものが社会の価値観になっています。結局、彼は最終的に強制送還にはなりませんでした。日本の場合は自己責任となります。こういうことも、この本から学びました。 以上、様々なことを述べましたが、私がお伝えしたいのは、専門外の本をなるべく読むようにしようということです。それにより視野が広がっていくからです。 本日は、ありがとうございました。 <質問> Q:今度日本人の国民性について発表します。日本の場合、みんなは同調してくれ、欧米の人たちは自分以外は全員敵という考えがあるから、自分の意見を述べる、自己主張しないとだめと学びました。私は、日本人は人を信頼しているというところではいいと思うのですが、いかがでしょうか。 A:日本とは全く表現の仕方が違います。アメリカの小学校では、親が先生を選べるシステムになっています。先生が使っている教材は全部違いますし、人気があるなしに教員は関与しません。人気のある先生と同じ教材を使うこともありません。始めから個性を伸ばそうという教育システムになっているのです。私の子どももとても楽しかったと言っていました。教員も自分のところにくる生徒だから大事にします。 日本人はディスカッションができないといわれます。ディスカッションは相手の人格を否定するように思ってしまっているからではないでしょうか。それはアメリカなどとは全く違います。少なくとも、私がいた大学では、時にはけんかのようなディスカッションもありますが、終わったらすぐもとに戻ります。そういう訓練をされているということではないでしょうか。ディスカッションでは、始めから考え方は違うというところから出発していますから、人格を否定するようなことは考えていないのです。相手の人格を認めた上でやっています。日本の場合は相手が参るまで徹底的に責めてしまいます。アメリカでは、そういうシステムが子どものときから作られているのです。ディスカッションするというのは個性だと思います。それぞれ人格をもっていてその基盤に立った上でのディスカッションだから大丈夫なのではないでしょうか。 Q:羊のドリーについて、当時その記事を見たときに、怖いと思いました。すっかり同じものができると信じていました。なぜマスコミや他の機関で、クローンはできないということが発表されないのでしょうか。 A:本当のことをわかっている人が少ないのです。専門の雑誌でもなかなかわかりません。しかしこの本には書いてあります。専門の雑誌では表現できない、自分たちの本当の事をこの本に書いているからです。この本からは、人間の病気を治すためという発想が伝わってきます。 Q:ゼミでクローンについて調べたのですが、人権、生物学的、また先生の考える良いところ悪いところを教えてください。 A:時には変な科学者もいますが、99%の人は人のために考え行動しています。病気を治そうとかです。臨床の研究者たちは、基礎研究の私たちに、例えば寝たきりの人の指がちょっと動くだけで、その患者さん本人は非常に喜んで、それで、改善が早くなるのだ、と云います。完璧な治療ではなくて手助けするためにまずやる。ちょっとでも改善するということについては、積極的にやるというのが科学の基本的な考え方です。 クローン研究は、この場合は、卵子を使うという事ですが。この応用は生命倫理の問題などがあり、尊重しなくてはならないことですが、どちらを選ぶかは皆さん方次第です。この研究は卵子を使います。本来は人になる卵子を壊してES細胞を作るのです。インフォームド・コンセントがよく云われます。体外受精を試みている夫婦に、必要でなくなった受精卵を提供してもらうのですが、提供するまでには、女性の医者でかつ心理学者でかつ産婆の資格を持っているという人が、その夫婦と医者が直接話すことがないようにコーディネートしています。そこまでやればいいのではないかと考えられています。いずれにしても、患者さんの病気が治ることについては積極的にやる、というのが、研究者の考えです。 Q:翻訳書と原書はどのように読み分けるといいでしょうか A:最近の翻訳書はわかりやすいものが多く出版されています。原書は基本的には読んだほうが良いです。ニュアンスがわかりますから。しかし分野が違うと専門用語が出てくるので、そこが難しいかもしれません。 以上。 |
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