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南アフリカの図書館 西浦 昭雄(通信教育部准教授) 「図書館は大学の心臓である」とよく聞く。確かに諸大学を訪問した際には、図書館を併せて見学し、その規模や風格が大学全体のイメージ形成に影響を与えることが多い。 本稿では、普段はあまり行ったり、聞いたりするようなことがないと思われる南アフリカの大学図書館について紹介したい。私は創大大学院博士課程に在籍中、2年弱を南アフリカで過ごした。留学中やその後の訪問を含めて南アフリカの16大学を訪問する機会があった。ご存知の通り南アフリカでは長年、アパルトヘイトという人種隔離政策が実施されていた国で、国民をアフリカ人、カラード、インド(アジア人)、白人の4つの「人種」に強引に分類し、住む場所から職業、公共施設、教育機会に至るまで「人種差別」を徹底してきた。簡単にいうと少数の白人が非白人を支配するというのが法律に基づいて実施されてきたのである。当然、大学教育まで影響を及ぼし、各人種向けの大学をつくり、予算規模にも相当の開きがあった。私が留学した時期は民主化がかなり進み、どの人種でも自由に大学を選べるという時代になってはいたが、それでも各図書館の規模や新着図書・雑誌をみても歴然たる格差があった。 さて、私がよく利用していたのは、研究拠点にしていたウィットウォタースランド大学と南アフリカ大学(UNISA)の図書館であった。前者は1922年に最大都市のヨハネスブルグに鉱山資本によって創立されたアフリカ有数の名門大学で、総合図書館をはじめ、研究用の図書館、学部ごとの図書館で構成されていた。中でも荘厳なWilliam Cullen図書館は1934年に設置された人文・社会科学研究の中核を担っており、1階には壮大な学位論文の展示室と公文書室、2階にはアフリカ関係の研究図書や古書室、地下には雑誌や新聞のアーカイブ機能をもっていた。とくに公文書室には、1803年以降の政府関係の報告書が中2階の書棚までずらりと並び、初めて入った時にはその威容に圧倒された。留学中の課題の一つとして「南アフリカ産業政策史」をまとめていたこともあり、半年ほどは毎日のように同室に通った。そのうちに司書の方々とも親しくなり、「その資料の関係ならこんなのもあるよ」と作業机の上に次々と置いてくださったこともあった。予期していなかった資料との「遭遇」やなかなか見つからなかった資料の「発見」があると無上の喜びを感じたものだった。 他方、南アフリカ大学はメイン・キャンパスが首都プレトリアにあり、学生数25万人に達する世界最大級の通信制の大学で、かのマンデラ元大統領も獄中で通信教育を受けていた。それだけの学生数に教材や配布物を印刷する部門を見学したことがあるが、それは印刷室というより、まるで巨大な印刷工場だと驚いたことを覚えている。南アフリカ大学の図書館は8階建ての壮大な建物で200万冊の蔵書数を誇り、しかも大半が開架式であるため利用勝手がとてもよかった。ウィットウォタースランド大学からの紹介状によって利用証をつくり、ヨハネスブルグから車で1時間ほどの南アフリカ大学の図書館にもよく通った。現在でも南アフリカに帰ったときには時間が許せば同図書館に立ち寄り、料金を払って1日利用証をつくることもある。ある日の夕方、コピー機が15台ほど並ぶコピー室で研究に関係する資料の複写をとっていると、隣には制服のままのアフリカ人警官が同様の作業をしていた。学士号をとるために同大学で学んでおり、勤務後に勉強をするために図書館にそのまま立ち寄ったという。日本ではないであろう「出会い」に、新しい南アフリカができつつあると実感した。 ひるがえって創価大学の図書館に目線を移せば、資料は整理されていて比較的に利用しやすい。近年ではウェッブ上で利用できるデータベースも豊富になってきた。図書館が中心になり学内に読書の波を起こそうというSoka Book Waveが定着してきており、まさに図書館が施設面にとどまらず知性の府の心臓になりつつあると思われる。私自身、担当する科目のレポートを課す際に図書館データベースの活用法についてもあわせて伝えるように心がけているが、さらに研鑽と工夫を重ねていきたいと考えている。 |
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