二天一流

鈴木 正宣(図書館事務室)

 

私が小説「宮本武蔵」と出会ったのは、大学3年生(平成2年)の時と記憶している。創立者の著作「私の人間学」で吉川英治という作家を知り、吉川英治歴史時代文庫の「宮本武蔵」全8巻を読了した。

武蔵の少年期の友情、戦いに向かっての迸る生命力、自分を慕う異性への優しさ、そして剣術家としてのあくなき求道心と情熱に魅了され、無我夢中で読み進めていったのを覚えている。この本を通して、歴史小説のおもしろさというものを初めて知り、いわば、読書を好きになったきっかけの一冊がこの本である。その後も、「三国志」、「水滸伝」等を読んでいく中で、すっかり吉川文学のファンになってしまった。

 

もともと、「私の人間学」の読了も地域の学生同士の集まりで毎週学習会を始めた事が発端であった。創立者は古今東西の偉人や英雄の生き様を、師匠との思い出を通して生き生きと論じられており、これからの人生を試行錯誤する二十歳前後の青年にとって、今後の人生の指標になっていった。今思えば、この「私の人間学」を読んでいなかったならば、吉川文学との出会いも、宮本武蔵の読了も恐らく無かったかと思うと、一書との出会いは人生にとって非常に大きなものと実感する。

 

学生同士の集まりにおいては、吉川文学を特に学び語り合った。「三国志」では劉備、関羽、張飛、孔明他、数多くの英雄・豪傑が登場するが、個人的には関羽の信義に生き抜く点が好きで、仲間を登場人物に見立てて楽しんで活動をしたものである。又、「水滸伝」ではリーダー論を学んだ。この小説では超人的な能力を持った人材軍が登場するが、その中で宋江はこれといって特別な能力を持っていない。しかし、人を知り、理解する能力に長けているが故に中心人物になる模様が描かれている。

 

私が吉川文学を好きになった理由は、どの作品の登場人物にも躍動感があり、まるで血が通っているかの様に描かれている点にある。又、それぞれの人格に強い個性を持ち、身近に存在している様な感覚を得たからであると思う。

 

 こうして、吉川文学への興味はさらに募り、友と青梅市にある「吉川英治記念館」を見学したり、民主音楽協会主催の映画「三国志」を鑑賞したものである。又、丁度この頃、某テレビ局で「宮本武蔵」が2日連続の長時間ドラマとして放映された。「宮本武蔵」役には俳優の北大路欣也、「佐々木小次郎」役には俳優の村上弘明、「お通」役には女優の加来千賀子とそうそうたるメンバーであり、個人的には小説でイメージしていた通りの配役であり、皆演技も素晴らしくとても感動した。

 

このドラマの中で、今でも思い出すたびに心が熱くなり、事に当たる際に自らを鼓舞するセリフがある。武蔵を雇っていた長岡佐渡は、小次郎との決闘が、その主催者・審判・取り巻き等も全てが敵であり、例え勝ったとして生きて帰れるか分らないとし、武蔵にもう一度決闘を諦める事を説得する。

これに対して武蔵は、関が原の戦いで豊臣軍に参戦したが敗れた事、その後ひたすら剣の道に生きて、剣に人生を捧げて来た事を述懐する。そして「私が得たもの、・・・私には剣しかありません」と応えて決闘に望んでいくというシーンである。小説ではこの場面の表現が少し異なっていたかもしれないが、何れにしても武蔵の剣に対する思い、小次郎との決闘に望む強い決意を感じた。

 

話は小説「宮本武蔵」に戻るが、周知の通り、宮本武蔵は江戸時代初期に生きた剣豪であり、13歳で初めて剣の戦いに勝利し、その後62歳で亡くなるまで約60戦を生涯無敗で生き抜いた人物である。その余りの強さ故に、周囲から嫉妬や策謀を巡らされるが、武蔵はそんな周囲を全く意に介さずに、むしろそれらを乗り越えて剣術と人間性を高めていく。そんな武蔵の境地を表現した一節が、小説「宮本武蔵」の最終巻にある。「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを」。小説のこのクライマックスの言葉は、武蔵の心境を見事に表現していると思う。又、全8巻に渡る大作のエッセンスをたったこの1~2行で伝えてしまう著者に感服した。

 

今回、表題にさせて頂いた「二天一流(通称二刀流)」は、武蔵が戦いの中で編み出した必殺の戦法であり、その理論は武蔵が己の剣術の集大成を綴った「五輪書」に書き残されている。

私自身も人生という戦いの中で、様々な困難に挑みながら、武蔵の様な創造力を持って勝って行きたいと思う。