本当の自分を見つける夏

 

久保田 秀明(教育学部助教授)

 

  夏休みは日常の自分の枠を超える何かが起こる。子供の頃から夏休みは、私にとって魅力的な季節である。長い休みがやってきたという開放感とともに、この季節になると自分の将来に大きな夢を持つことができる。それはゆったり流れる時間の中で、思う存分に本が読めるからだと思う。書物の中に、自分が共感できる生き方を見つけたとき、それは単なる書物ではなく、自分が探していた自分自身と出会った瞬間のように感じられる。読み進むうちに自分も限界に挑戦したくなるような、元気の出る本が好きなのはそのためだろう。

  外科医だった父が私に勧めてくれたものの中に「微生物を追う人々」という本があった。ルイ・パスツールやロベルト・コッホなど、細菌学の基礎を開き治療技術の発展に尽くした医学者たちの名前は、35年以上たった今も鮮明に覚えている。気に入ったところは何度も読み返し、その影響で理系の科目に強い興味を持つようになった。

 

  堀江謙一青年の「太平洋ひとりぼっち」と出会ったのは、鎌倉市立第一小学校の図書室だった。ページをめくるとそのまま時間が止まり、堀江さんの世界に引き込まれていった。夏休みにその本を借りて帰り、夢中になって読んだ。図書室に返しては借り、また返しては借り、暗記するほど読んだ思い出がある。とにかく面白かった。仕事でもなく、名誉のためでもなく、ただヨットで太平洋を渡りたいという情熱だけで、日本のがんじがらめの不自由さのなかで、目的のためにあらゆる努力を尽くす堀江さんが輝いて見えた。1962年、全長5.8メートルの小型ヨット「マーメイド号」で西宮を出港し、日本人として初めて単独無寄港の太平洋横断に成功、サンフランシスコに到着するまでの航海日誌をまとめたものである。94日間の航海だった。

堀江謙一さんの偉大さは、冒険航海を成功させたシーマンシップにあることは当然だが、同時に民間人に自由な海外渡航の道を開いたパイオニアとしてもその功績は大きかった。堀江さんによって、日本の鎖国は実質的に開かれたと言われるほどである。当時は日本人が海外旅行をしようとしても、容易にはパスポートが発給されなかった。その時代に、彼はヨットで米国に渡航するという前例のない申請理由をもって正規のパスポートをもらおうと、あらゆる方法を試みたのである。情報を得るために旅行会社に勤務し、国会議員にも協力を依頼している。結局、万策尽きた彼はパスポートを持たずに密出国することになるが、それはすべての選択肢が閉ざされた後の、やむを得ぬ決断であった。この「密出国」と当時の日本では理解されにくいヨットによる航海であったことから、日本のマスコミは堀江さんを激しく責めた。彼の太平洋横断成功の第一報が届くと、新聞各紙は一斉に彼を非難した。「密出国の青年、アメリカで捕まる」「無謀で危険な愚行」という類の見出しが躍り、堀江さんは犯罪者として扱われる。

 

ところが、堀江さんが到着した米国の反応は違っていた。サンフランシスコのジョージ・クリストファー市長は、週末にもかかわらず大統領と連絡を取り、堀江さんをサンフランシスコの名誉市民として迎え、彼に「市の鍵」を贈ることを決定する。この間わずか一日。堀江さんのマーメイド号は、43年たった今でもサンフランシスコに大切に展示されている。堀江さんを英雄として迎えた米国民の反応が伝えられると、日本の新聞は堀江さんを非難するのをやめ、手のひらを返したように賞賛し始めた。信念なき報道の姿勢がここにもあったのだ。

「太平洋ひとりぼっち」は、いくつかの出版社から復刊されているが、堀江さんの壮挙に関する日米の対応の違いについては、清水弘文堂刊(ぐるーぷ・ぱあめの本―地球時代選書)の同書のなかで、本多勝一氏が鋭く解説している。

 

23歳で太平洋を渡った堀江さんは現在66歳。これまでに太平洋を7回横断した。先月、ヨットによる3度目の世界一周を果たした堀江さんに、創立者は「若々しい心。不屈の闘志。まさに『挑戦王』である。」と賛辞を贈られている。

  今年の7月は、様々な意味で特別である。Lance Armstrong著(安次嶺佳子 訳)「ただ マイヨ・ジョーヌのためでなく」は、末期癌を宣告された著者が強靭な精神力で癌を克服し、地上でもっとも過酷な自転車レース、ツール・ド・フランスに初優勝するまでの記録である。癌によって人間としての使命に目覚めていく過程がすばらしい(続編は「毎秒が生きるチャンス!」)。そしてこの7月2日から、Lance Armstrong選手は現役生活最後のツール・ド・フランスを、いま走っている。7月24日のゴールを目指して。そして、前人未到の「ツール」7連覇を目指して。Lance が走る最後の夏、「ただ マイヨ・ジョーヌのためでなく」をご一読されることをお勧めしたい。そして、限界に挑戦し人生を生きることの意味について、思索を深めていきたい。