スカーレットに魅せられて

 

  西崎 加代子 (中央図書館職員)

 

「明日、考えよう。」

名作『風と共に去りぬ』の主人公・スカーレットの口癖である。 

 

『風と共に去りぬ』を手に取ったのは、私が高校3年生の夏だった。はっきり言って、読書は苦手だったが、図書館の雰囲気が好きで、図書館にはよく行っていた。高校生最後の夏、「コレを読んだ!と言えるような名作に挑戦してみよう!」そう思って、何にしようかと思い悩みながら本を探していた時、ふと目に入ったのが『風と共に去りぬ』だった。

岩波文庫で、全部で5巻にもなる名作。「これを制覇したら、自分を誉めてあげてもいいかもしれない。」と、借りることを決意。でも、「一気に借りても全巻を制覇できないかもしれない。」と思い直し、とりあえず1巻だけ借りてみた。

 

私は、将来は英語通訳になろうと決めていたくらいだったので、とにかくアメリカやイギリスが好きだった。そのアメリカ南部が舞台のこの本に、私はたった一晩でくぎ付けになった。それは、「文学」「名作」と聞くと、なんだか難しいイメージがあったが、『風と共に去りぬ』は、とにかく“描写”がとても綺麗で、分かりやすかったからだ。そして、何より、主人公のスカーレットがとにかく“美しい”。1巻の最初には、『スカーレット・オハラは美人ではなかったが・・・(中略)・・・ひとたび彼女の魅力にとらえられてしまうと、そんなことに気のつくものは、ほとんどないくらいだった』とあるが、男性だけでなく、女性の私をも魅了した。

 

『風と共に去りぬ』では、いろいろな人物や状況、心情が対照的に描かれているため、読んでいる私は読み進めながら、スカーレットになってみたり、レットになってみたりと忙しかった。“どうしてこう思うんだろう”、“私だったらこういうことはできないな”などと思ったものである。

 

気が付くと全5巻をあっさり読んでしまっていた。「1章を読み終えたら寝よう」と決めるのだが、次が気になって眠れない。まさに寝るのも惜しいくらいだった。「自分を誉めてあげられるかもしれない」と思って読んだ本だったが、最後は「自分の人生を変えた一書」になってしまっていた。

 

私が短大生になって、アメリカ創価大学での3ヶ月間の短期留学の際、カラバサスキャンパスの正門から続くスズカケの並木道が、映画『風と共に去りぬ』で使用されたと聞いた時は、不思議な縁を感じた。留学中に開かれたスピーチコンテストで、『風と共に去りぬ』を読んで実感したことを思わずスピーチしたら、優勝してしまい、友人たちも何かを感じてくれたのか、「私も読んでみたくなった!」と言ってくれたとき、今まで感じたことのない喜びを感じた。留学最終日近くになると、全員がそれぞれの“アワード(賞)”をもらえるのだが、私は、“The Scarlet Award(スカーレット賞)”をもらってしまった。このとき、初めて『風と共に去りぬ』が、実は私の中で大きな影響を与えていたのだと知った。

 

スカーレットの生きた時代は、過酷な時代。南北戦争、飢え。最愛の娘の死、そして愛する者との別れ・・・  様々な苦悩や困難に出会ったとき、人はどうするか。それは、2つしかない。

「諦める」か「立ち向かうか」である。

スカーレットは、後者だった。その生き方は、外見の美しさだけでなく、内面からにじみ出る“強さ”、変化に対応する“柔軟性”と“積極性”、そして、どんなことがあってもけっしてくじけることのできない理由(スカーレットにはいろんな“理由”があったが、私は、スカーレットの信条である「自分自身に生きる」ことに対するこだわり)を強く感じた。一人の人間として、また、「女性がありのまま生きる」ということが困難な時代にあって、“自分自身に生き切った”スカーレットがとても魅力的だった。もちろん、スカーレットは実在する人物ではないが、現実にいたとしたら、私は絶対に会いに行っていただろうと思うくらいだ。

 

『風と共に去りぬ』を読んでからというもの、スカーレットにこだわっているわけではないが、自分の中でいつしか、「スカーレットのような女性になりたい」という強い“憧れ”を抱くようになっていた。目の前のことでくよくよしたり、小さなことにこだわって自信を無くしたりする傾向性の強かった私にとって、スカーレットの「明日、考えよう」と言い切れる、いい意味での“前向き”な生き方を、私はスカーレットから教わった。『風と共に去りぬ』は、私にとって“感謝の一書”である。そして、そんな本に出会った自分を「誉めてあげてもいいかな」と今、実は思っている。