初めての洋書

 

青木 一男(国際仏教学高等研究所職員)

 

 

私が初めて洋書に挑戦をした本は、フー著『ホモトピー・セオリー』だった。私が数学科の学生だったころ、ゼミの先生から、これを読もう、と指定された教材だった。初めて洋書を買い、自力で読んだという意味で、この本は自分にとって記念碑的存在である。この本を読んだおかげで数学の世界のおもしろさを知るきっかけとなった。

 

振り返ってみると、私は小中高と一貫して数学が苦手だった。小学校のころ、算数の授業でそろばんを習ったときは、ほとんど間違えていた。たまに黒板の前の特大のそろばんで計算するように指名されたときは、正解が出たためしがなかった。中学時代は計算問題、高校時代は幾何が嫌いだった。

 

ところが、よりによって大学は数学科に入ってしまったのである。

 

でも幸いなことに大学の数学は高校以前と違い、あまりめんどうな計算をする必要がなく、パズルを解くような面白さがあり救われた。例えば数を直線と考えた場合、その直線をするどい刃物で切断したとすると、切れ目の数字はどのような状態になるか、という講義を受けたことがある。そんなことどうでもいいではないかと思ったが、あとになって、これは数学では古典的な有名な問題だということ教えられた。

 

やがて無事3年生になり、ゼミを選ぶことになった。どれもこれも堅苦しいゼミが多かったが、1つだけ、研究テーマがトポロジーという、言葉の響きからしておもしろそうなゼミがあった。担当の先生いわく、「数学の予備知識がなくても大丈夫」。その一言でそのゼミに決めた。

教材は、『ホモトピー・セオリー』という、英語で書かれた分厚い原書だ。アカデミックプレス社から出版されていて、学生にとってはかなり高価な本だった。ゼミは週1回あり、ゼミ生が順番に、その原書をもとに講義するという形で進められた。ところがゼミ生は私ともう1人、2人だけのゼミだったから結構ハードだった。

辞書とくびっぴきで予習、予習に追いまくられた。自宅で、図書館で、その原書を翻訳し、ノートに書き込んで意味を考えていく。数学の本はすぐに訳せても日本語にしたところで意味が分からない。せっかく予習がすすんでも2週間に1度自分の番がまわってきてしまうので、かなりの分量を予習したと思っていても、あっという間にそのストックがなくなってしまう。

 

いつしか本が手垢で黒くなり始めたころだった。一見味も素っ気もない数式を訳していたところ、突然、その意味が実感できる瞬間があった。その数式のなかの一か所を動かすと、まるで風船のようにふくらんでいくではないか。まるでアニメーションを見ているような錯覚におちいった。

数日後のゼミでその風船のイメージを説明したところ、先生から、「そのとおり、よく分かったね」と言われ、ほんとうに嬉しかった。それ以来、長年の苦手意識が消え、数学に親しみを感じるようになった。

 

ときは過ぎ、今から10年くらい前に、数学科卒業生の同窓会があった。私は、なつかしいそのゼミの教材を持参し、「定年になったらこの本を最後のページまで読みます!」と宣言してしまった。居合わせた後輩たちは、この発言にびっくりし、相当発奮したようだ。

 

 今年の6月末で定年を迎えた。『ホモトピー論』だけにこだわらず、また別の洋書でもいい、手垢で黒くしてみたい。