<考える>読書

石神 豊(文学部長)

 

 本の中で価値ある本とは、いろいろ考えさせてくれる本であると思う。本を閉じても、しばらくの間、あるいはさらに長時間、思索を喚起するような本がある。そうした本に出会うと、人生が充実したような気持ちになる。したがって、私が本を評価するとしたら、その本がどれだけ読む者を深く考えさせたかということを基準にしたい。

 

 私自身、大学生となったとき、趣味で読む本を別にすると、いわゆる「かたい本」には、どうしても抵抗感があった。そこで、あるとき、「よし、この難しい本を最後まで読まなければ、他の本は絶対に読まないぞ」と悲壮な決意をした。その本というのは、小さな新書版だったのだが。しかし、これが苦しかった。1頁1頁が難行苦行であった。しかし、なんとか最後までたどり着いた。残ったものは、ただ、「1冊読み終わった」という哀れな達成感だけであった。

 

 その後、<本を読む>ということは、ただ活字を追いかけ、内容を記憶することでなく、<その本を参考にして、どれだけ問題を考えたか>ということだと気がついた。考えたことは自分のものとなる。だから、たった数ページでもいいのである。考える時間をもつことが大事なのである。すると、あれほど抵抗感があった「かたい本」が、気にならなくなった。そして、知らないうちに、読んだ冊数も増えていった。

 

 現在、私の担当する1年生の授業で、セメスターで5つの読書レポートを出してもらう授業がある。レポート5通というと、最低5冊は読まなくてはならないから、それを発表したときの受講生の顔は少々困惑気味となる。しかし、こうした課題を出すとき、こちらにも困惑することがある。本の選定である。これは、と思う本があっても、なかなか手に入りにくく、ときには絶版だったりする。まだ本が出て2,3年しかたっていないと思い、本屋さんに問い合わせると、「もう在庫ありません、再版の予定も現在ありません」とすげない返事が返ってくることが多くなった。また、こうした課題用の本は、刊行されていても、教科書のように全員に買ってもらうというわけにもいかない。

 

 そこで私は、図書館を念頭におき、選定については学生に任せることにした。本を指定せず、テーマを出す。ちなみに、今年は「ソクラテスあるいはプラトン」「ルネサンス文学」「異端審問あるいは魔女裁判」などといったテーマを出した。このテーマに沿った本を各自で探して、読書して感想文を書くということになる。それぞれのテーマに関する書籍は、図書館にかなりあるはずである。学生にとって、図書館で本を探すという作業、じつは、これは学習のかなり重要な部分ではないかと思う。

 

 提出されたレポートの多くは、1冊の本(あるいはその部分)を読んで書いたものであるが、自分なりに感じたこと、考えたことを述べてもらう。なかには数冊を読み込んで、まとめた力作もある。数通のレポートを書くうちに、文章力とともに、確実に思索する力もあがってくるように思う。

 

 その他に、私は、授業終了後に、自分流の「ミニッツペーパー」を配布して書いてもらっている。それには、授業の感想や質問のほか、この一週間に読んだ本をすべて書いてもらう。しかも、短いながら感想も、である。カードには「返事を希望する人」のみ、メール・アドレスを書いてもらい、必ず返事をする。ときには、再度の質問や意見があり、メールのやりとりがつづくこともある。このやりとりを通して、考えるということの面白さが伝わっていくように感じる。さらには、自分自身のテーマをもって、本格的に研究していってほしいと願っている。

 

 じつは、学生がカードに書いてくれた本について、私自身、知らないものも多い。学生は、先生は読んでいるにちがいないと思って、その内容について尋ねてくることがある。これには、率直に「まだ読んでいません」と答えるほかはないのだが、しかし、気になり、すぐ図書館に行って探すこともある。最近は、話題になりそうな本は、早めに本屋に注文したり、図書館で借りてきたりもしている。これからも、学生の皆さんからも教わりつつ、<考える読書>を進めていきたいと思っている。