読書の秋に寄せて

吉田 祐子(財務部職員)

 

 秋は夕暮れ 夕日のさして 終業いと近うなりたるに 上司の 残業せよとて 三つ四つ 二つ三つなど 言ひつけるさへ あはれなり

 

 理由は仕事に限らないが、80万冊以上の蔵書を誇る大きな図書館が職場内にあるという恵まれた環境にいながら、時間と心の余裕がなくて行けないことが多い。しかし、図書館司書に憧れた時期があった私は、図書館という環境が今でも好きだ。頻繁には行けないが、時々思い出したように学内の図書館に足を運んでいる。

 

先日も、ちょっとした空き時間に中央図書館に立ち寄った。借りる本を絞りかねて結局手ぶらで出てきてしまったのだが、重い扉を開いて外の空気にふれた時、ホッと肩の力が抜けて心地よい気分になった。建物を出たときに見える景色がとてもいいのだ。少し高い場所から哲学の道の桜並木を見下ろす格好となる。春の美しさは言うまでもない。夏は空の青と木々の緑と足元のレンガ色のコントラストが鮮やかだ。秋は、ひんやりとした空気が体を包み、活字に囲まれてざわついた気持ちを冷ましてくれる。朝晩冷えるこの時期になると、黄朽ち葉の間にちらちらと見えるサザンカの花が一足早く冬の訪れを告げ、季節の微妙な移りかわりを感じ取ることができる。通りの向こう側に目をやると、白亜の短大校舎。短大時代を思い出して少々懐古的な気分になる。

 

当時の私は、クラブの練習を終えると中央図書館に閉館まで入り浸ることが多かった。といっても、特別勉強熱心だったわけではなく、大学周辺に住んでいると学校帰りに寄れるのは図書館しかなかったのである。手にとっていたのは専攻分野とは全く関係のない本が多かった。だが、たくさんの本に囲まれて過ごした時間・思索をしながら帰路についた日々それこそがかえがたい財産だったように思う。階段を下りながら、すれ違う学生さんの中には時代が変わってもあの頃の私と似た生活をしている人も少なくないだろうと想像してみる。普段はあまり考えないような物思いに耽った気分になるのも、秋ならでは、だろうか。

 

 さて、借りそびれた本が今になって恋しい。一度読み終えているのだが、気に入った本は何度でも読みたくなる。偏向の度も強く、狭く浅く読書歴を重ねている私だが、多くの人に読んでもらいたい本としてご紹介したいと思う。

 

『あさ/朝』 谷川俊太郎 文・吉村和敏 写真 アリス館

親子で読める本として編集され、右から開くと詩集、左から開くと書き下ろしの絵(写真)本という両開きスタイルになっている。谷川俊太郎氏といえば詩「朝のリレー」が有名だが、この本はそれを含めて“朝”を題材にした詩が集約されている。氏は、新聞のインタビューの中で、半世紀近く詩を作り続けることが出来た秘訣について、次のように述べている。「(詩に対して)これでいいのか、人の役に立てるのか、という思いが強かった。昔の詩人たちは生活より、家族より、詩が大事、良い詩が書ければそれでいいという態度だった。僕は最初からそれには疑問があって、生活をきちんとしたい、妻子を養いたい、そこから詩を生み出したいと思っていたんです。そのおかげでずっと書き続けることができたのかもしれません」池に映った月を手に取ろうとして溺れてしまうような危うさを内面に持つ人が詩人・芸術家の粋と思い込んでいたが、決してそうではなかった。真摯に生を全うしようとする人間こそが自然の本当の美しさを見出し、詩に紡ぎ、多くの人の心に共鳴する。氏の創作姿勢を知ってすっかりファンになってしまった。一日を、一瞬一瞬を、大切に過ごそうと心から思わせてくれる詩人である。

 

創大祭が終わり、ひと息つく間もなく3年生の就職活動が本格スタートした。創立35周年から40周年へ向けて更なる発展をしようとしている大学の中で職員一人一人が担う役割も大きくなり、「まいて 書類のつらねたるが いと多く見ゆるは いとをかし」な日々である。創立者池田先生が『青春対話』の中で語られている「まとまった時間で読むのだけが読書ではありません。かえって、ちょっとした時間に読んだものが、あとあとまで残っていることも多い」との一節を励みとしながら、読書を愉しみつつ、自身の心を養っていきたいと思う。