本は心の糧:第2回全学読書運動「SokaBookWave」に寄せて

 

山口 喜一郎(中央図書館)

 

 作家の北方謙三氏は、平成18年2月7日付けの読売新聞朝刊に掲載された第4回「新!読書生活」の諸田玲子さんとのトークショーの中で、次のように言っている。「本は米や肉やパンの代わりにはならない。でも、心の糧になる。この本があってよかった、この音楽に出合えてよかった、この映画を観て救われたと思うことが、人生にはしばしばあります。創作物にはそういう力がある。本はただの紙の束じゃない。そこには無限の何かが、心を豊かにする何かが詰まっていることを、知ってもらいたいんです。」 本も映画も音楽も私の生活になくてはならないから、北方氏の言葉に深い共感を覚える。

 これに関連した話題をもう一つ。昨秋公開されたキャメロン・ディアス主演の「In Her Shoes」を観た。その映画の中で主人公が老人ホームで一人の老人に詩を読むシーンが印象的だった。詩人は2人。1人はElizabesh Bishop、もう1人はE.E.Cummings。私は今まで多くの本を読んではきたが、詩にはあまりのめり込まなかった。その映画のシーンで読み上げる詩がものすごく良かったので、昨年の暮れに図書館で2人の詩集を借りて読んだ。感想は、というとその美しさと深さに魅了された。文字でこれほど見事に謳い上げられるものかと驚いた。そして詩を敬遠していた自分の浅はかさに気が付いた。

 

 さて本題に入ろう。「読書の目的」についていくつか気が付いた引用を元に私なりのコメント(緑色の部分)を記したい。

Critical Thinking Communityは、その刊行物の中で次のように記している。

 読書には5つの目的があります。

 1. 単に楽しむため

 2. 単純な発見を得るため

 3. 専門知識を得るため

 4. 新しい世界の観点を理解し評価するため

 5. 人生の新しいテーマを得るため
 
上記の並び順がおもしろい。1は読書のとっかかり。2~4は日本的に表現すれば「知識の修得」とでもなるだろうか。5は「人間性の向上」か。1が読書の初歩で、5が読書で最も重んじる目的と考えられるのでは。2~4は、社会人・現代人として生きていくための読書と考えて差し支えないだろう。 

● 熊谷  孝 編著『十代の読書』(河出書房刊)にこうある。「読書というものを、あまり窮屈に考えないほうがよいのではないでしょうか。読んだからには、何かそこから教訓を学び取らなくてはならないとか、だからまた、大きな教訓が得られるような“良書”だけを選んで読もうと心がけるのは、これは大へん結構なことなのですが、しかし、じつは、あまりそう窮屈に考えていただきたくないのです。そう考えたのでは、読書というものが、ぎすぎすした、何か気重なものになってしまいます。重苦しく、楽しくないものになってしまいます。読書は、ほんとうは楽しいものです。気の向いたときに、読みたい本を読む、――それでいいのです。」この表現については私も同感。読書を楽しんだ経験を持たなければ、「良書」や「専門書」などをすらすらと読めないに違いない。ここに読書家の第一歩がある。名前は忘れたが、ある著名な学者は、「今でも探偵小説が好きで、旅行に行く際は必ず文庫をバックに入れてもっていく」(要旨)と語っていた。かくいう私も同様で、旅行と言えば読書である。この上ない愉しみである。旅行に行くのが目的なのか、読書をするために旅行に行くのか自分のことながら判然としない。

● 昨年7月に「文字・活字文化振興法」が制定施行されたが、それに先立ち平成13年に「子どもの読書活動の推進に関する法律」が制定施行されている。この法の第2条に、「子ども(おおむね18歳以下の者をいう)の読書活動は、子どもが、言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないものであることにかんがみ、すべての子どもがあらゆる機会とあらゆる場所において自主的に読書活動を行うことができるよう、積極的にそのための環境の整備が推進されなければならないこと。」と規定されている。対象者は「子供」とあるが、青年や成人も対象としてよいのではないかと思う。言葉を大学生向けにすれば、SBWの目的と同じではないかと思う。

21世紀活字文化プロジェクトの「読書教養講座」の座談会(2006年2月16日開催)の最後の部分で、西南学院大文学部の新谷秀明教授は、「読書は教養を獲得するためのほとんど唯一の手段だ」とズバッと述べている。知的興味を覚えるテーマを抱えた場合、それを獲得するためには、自分で本を選び、それを読み、テークノートする、そういうことなのではないか。ある識者が次のように言っていた。「一つのテーマを学習するためには基本書を最低3冊を読む必要がある」と。今後、私たちは、継続的にそうした作業をしていく必要があるに違いない。そうしなければ人間や社会に立ち向かえないからである。

 

 長々と引用をしてしまった。しかし、なぜ今様々な人が同じようなトーンで読書の目的を発信し続けているのだろうか。現代社会がかかえる諸問題は複雑多岐に渡っているし、深刻さを増している。どうほぐすのか、あるいは、どう関係付けるのか、そして、どう解決法を見出すのか、その方法を多くの人が模索している。私たち一人一人も社会で生きている以上、多くの点で同一の問題を突きつけられている。Critical Thinking Communityの指摘は、そうした問いかけに対応している。人生を楽しみ、人生の新しいテーマを得るための読書、そして「新しい世界の観点を理解し評価するため」の読書なのである。

 結論。だから今、なるべく多くの創大生・短大生にSBWに参加をしてもらいたい! そこからしか皆さんの地平は開けないから。そう断言をしても良いだろう。皆さんにとっては迷惑かも知れないが、背中を押したいのだ。SBWは、創価大学という素晴らしき世界を拡大しゆくためのバックボーン。その意義を込めてシンボルマークを「本の上の校章」とした。ともあれ楽しみながら、是非意欲的に挑戦をしてもらいたい。