社会への眼を開かせてくれたあの1冊

井上 務(工学部庶務課 課長)

 

 あれは私が大学3年生の時の事でした。ある雑誌が企画した「著者を囲む座談会」への参加を要請されました。素晴らしいチャンスでしたのでお願いする事にしました。

 著者は宇井純氏(東大助手:当時)。「私の公害闘争」(潮新書、1971年刊)という著作を題材に語り合う事となりました。座談会の場所は如水会館との連絡でした。簡単にOKしてしまったのですが「高名な著者との座談会に臨むのだ!」と考えるとだんだん不安になってきました。私は宇井氏の著作を片端から読み始めました。

 

 同じ著者の本を短期間にあれほどまとめて読み込んだ事は大学3年生になるまでの間、経験した事がありませんでした。著作を読み進むうちに「行動せよ!」「現地を見よ!」との指摘に刺激され、私は友人と公害問題の原点の地と言われる足尾に向かい、赤茶けた荒涼とした山肌を見上げてきました。こうして著者に直接お聞きしたい事がドンドン増えていきました。

 

 その座談会当日、会場入り口で「失敗した!」と感じることが二つありました。一つは、如水会館という場所が由緒ある素晴らしい場所である事を全く認識しないまま当日を迎えた事。二つ目は私以外の参加者はスーツにネクタイ。気楽なセーター姿の私は後悔したものです。セーター姿の私がバッチリ掲載されているページを見る度に当時を懐かしく思い出します。ただ、ありがたいことにノーネクタイだった著者に力を得た私はお聞きしたい事を次々と質問させて頂きました。大学生の質問に真摯に耳を傾け、返して下さる見事な回答に感動したものです。座談会では私たち学生や会社員そして新聞記者の方等が著者である宇井氏と数時間に亘って真剣に語り合いました。座談会の模様はやがて編集・出版されました。記事の冒頭は「人間を忘れ、誤って用いられた科学技術がいかに恐ろしい結果を招来するかは水俣病の現実が語って余りある・・・」との書き出しで始まっています。

 

 この座談会がきっかけになり私は宇井氏が東大で主催されていた「公害原論」という公開講座の受講者となりました。昼は他大学の学生、夜は東大に向かう日が増えました。水俣病の患者さんが登壇したりする熱気溢れる講座がそこで展開されていました。

 

ここでの経験はやがて私の職業観等に変更をもたらしました。いろいろ悩んだ結果、医薬・農薬の検査をする民間の研究所に運良く就職する事が出来ました。その職場で携わっていた仕事が創大で役立つ事になって40歳で転職。創大職員となった不思議を感じています。そして15年が過ぎて55歳のオジサンになった私。大学生の時に出会ったあの一冊が無ければこの原稿を書く事は無かったと実感しています。図書館や街の本屋さんの本棚に人生に大きな影響を与えるかもしれない本があなたと出会うことを待っています。既に出会っているかもしれません。学生時代、皆さんがたくさんの良書と出会う事を願っています。