「雪国」―川端康成

松岡 幸恵(中央図書館)

 

私は、飛行機が嫌いだ。

高校時代の物理の授業で「重力」を学んで以来、あんな重い物体が空を飛んでいることが不思議でたまらなくなった。飛行機が空を飛べるくらいなら、自分の方がよっぽど飛べるのではないかと思ってしまうのである。

東京で暮らしはじめて、もう10年以上になるが、鳥取が実家の私は、飛行機だと1時間20分でたどりつけるところを、5時間以上もかけて電車で帰る。

でも、それは、単に飛行機が嫌いなだけではなく、電車の窓から見える四季折々の景色に魅了されているからでもある。

電車から見える景色に思いをめぐらし始めたのは、一冊の本からであった。

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった

あまりにも有名な、川端康成著作の「雪国」の冒頭の一節である。

初めて、この本を手にしたのも、やはり、高校時代だったように記憶している。

きっかけは、この有名な一節で始まる物語は、どんな結末を迎えるのだろうかという好奇心からだった。

この一節を「静」と捉えるならば、「動」というべき火災のシーンで物語が終わるところに、不思議な魅力を感じた。

そして、この「長いトンネル」は、主人公の人生に例えられているようにも思った。進み続ければ必ずトンネルは抜けられる。しかし、抜けた先に広がる現実をどう受け止めていくのか。読み終わったあとも、思索を重ねる物語だった。

この「雪国」をきっかけに、「伊豆の踊り子」「女であること」「古都」等、川端康成の作品に夢中になった。

 

私の読書法は今でも変わらない。

本を手にとり、冒頭の一節やあらすじを読み、自分の心がときめくフレーズとであったら、その本だけでなく、その著者の本をひたすら読み続けるのだ。

 

飛行機嫌いの私も、この一節のように素敵なフレーズに出会ったら、飛行機に乗りつづけているかもしれない。