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32歳にして幼児並みの知能しか持たないチャーリー・ゴードンが天才となり、衰退していくまでを描いた物語。 読了後心がズーンと重くなり、気付けば涙が溢れ止まりませんでした。優秀であることは幸せであることとは比例しない。誠実な思いで得た知識や知能は、彼を幸せにはしてくれなかったと感じています。ただ、得た知識で束の間の経験をし本当に大切なもの、失って初めて気付くものがどれほど愛おしいものか、彼の経験を通して感じました。人の幸せとは他の人よりも賢くなるということではなく、人との繋がりにあるように思います。自分が大切にしたいと感じる人、また自分を大切だと思い心を寄せてくれる人が傍にいてその繋がりがあること。少なくとも、私の幸せはこれだと考えさせられました。
どのページをめくっても、世の中への恨みつらみと、どこまでも醜い自分自身へのやるせなさが、声に出して読むのが憚られるような表現で並べられている。健康な状態の人間がこれを読めば間違いなく気分を悪くするのだろうけど、あいにく僕は健康な人間ではないので、貪るように最後まで読んでしまった。自分よりどうしようもない人間がいるんだ、と西村賢太の作品を読むたびに不健全な安心を覚える。社会に居場所がないと感じるすべての人にとって西村賢太は救いになると思うが、同時に、この文庫を手放さない限り僕は幸せになれないんだろうなと、表紙を見つめながら思った。
「行動経済学では、人間の意思決定には、合理的な意思決定から系統的に逸脱する傾向、すなわちバイアスが存在すると想定している。そのため、同じ情報であっても、その表現の仕方次第で私たちの意思決定が違ってくることが知られている。医療者がそうした患者の意思決定のバイアスを知っていたならば、患者により合理的な意思決定をうまくさせることができるようになる」本書の「はじめに」の一節である。医療現場での意思決定においては、命を救うだけではなく、その後の生活の質に関しても考える必要があり、患者やご家族皆が異なる価値観をもつ中でのベストは対象によって様々だ。しかし医療者は、命を救うことに関しての最善を知っているわけだから、それに基づいた意思決定支援ができるようにしなければならないと私は思う。この一節を読み、そのような意思決定支援の実践のために、行動経済学を学ぶことは有用だと考えた。 私が目指す看護師という職業は、実際に治療方針を決めることはない。しかし、患者が意思決定をする際、看護師からも選択肢のメリット・デメリットを説明するなどの支援を行う。意思決定をした後においてもいつでも選択は変えることができることを伝えたり、どのような選択をしたとしても全力で必要な看護を行ったりすると今まで学んできた。それに加えて、人は「将来」の自分の利得よりも「現在」の自分の利得を常に重視していることを理解したうえで、長期的な目標を患者とともに立て、それを踏まえて短期的な選択の意味を考えた意思決定ができるよう支援することがよい意思決定支援なのではないかと本書を読んで学ぶことができた。 命の現場においても、合理的な決断が必ずしも功を奏すとは限らない。合理的な意思決定ができなくとも、医療者と患者との溝がなるべくない状態で医療を行うことが重要であり、そのために医療者には患者のもつバイアスを理解しておくことが求められる。私も、患者のよき理解者・支持者となれるようにこれからも行動経済学を学び続けたい。
私は核問題に興味がありこの本を手に取りました。作品名からは中学生の修学旅行の思い出について書かれているように思えますが、半分以上のページが実際に広島修学旅行で中学生が聞いた被爆体験と感想が書かれていました。被爆体験は原爆で子どもを亡くした母、生徒を守れなかった先生、日本で強制労働をさせられていた朝鮮人被爆者、など様々な立場の人が鮮明に語ってくださっています。 私は被爆者の方から直接被爆体験を聞いたことがありません。しかしこの本を読んで、被爆者の想いに触れることができました。 被爆者が体験した言葉には表せない原爆に対する怒り、悲しみ、憤り。そして命と平和の尊さ。自分も核廃絶に向けた行動をしていきたいと強く思いました。 被爆者の高齢化が進み、語り部が減っているのが事実です。これから先は私たちが世界に、そして未来に被爆者の想いを語るしかありません。ぜひ一度この本を手に取ってみてください。そして一緒に核廃絶に向けた行動を開始しましょう。
この本を読み始めて一番最初に感じたことは高校の世界史の授業をもっと真面目に受ければよかったということです。本の中で高校の世界史の教科書で見たことある人や地域がたくさん出てきましたが、いまいち誰が誰か分かっていなかったため、読み進めるのに時間がかかってしまいました。幸いなことに、本の中で丁寧に登場人物について説明されているため、高校の授業を思い出しながらゆっくり読み進むことができます。 この本を読んで強く感じたことは、人は自身の住んでいる土地、宗教を守るためなら戦い続けることができるということです。アイデンティティは過去現在において人間が人間らしくあるために必要なものであることを再認識しました。
この短編集には、まったく異なる土地でまったく異なる生活を送る主人公たちの話が6篇収録されている。僕が思うに、彼らに共通しているのは、ほんの些細で、それでも致命的といえる問題を抱えているところだと思う。生活の不満がはっきりと描かれている訳ではないが、"僕"の乾いた言葉からその虚しさを汲み取ることができる。彼らは何気なく、意味のない行動をとり、6篇の中の多くは特に大きな出来事もなく語が終わる。彼らの中に自分を見る訳でもないけれど、この本の中の時間の進み方はやけに心地が良かった。
本書は、ジブリ版のゲド戦記を中心に、監督とプロデューサーへのインタビュー。そして原作、ゲド戦記の世界であるアースシーの世界の魅力をまとめた本である。竜と人や、光と影といった対立構造になりつつも、元々は一つであったものについての言及は、他のファンタジーにはあまり見られないもので面白く感じた。ゲド戦記のネタバレにもならないし、そこまで詳しく原作の内容に言及しているわけでもないので、内容は気になるが全部読むのは難しいなという人はこの本を一冊読めば良いだろう。ファンタジーや原作者などについても軽く触れているので、浅く広くという一冊。 ゲド戦記のようなハイファンタジーやハリーポッターなどの「ハイ」と「ロー」の区分が曖昧なところの比較についても触れている。ゲド戦記の傾向についても知る事ができると思うので、サクッとゲド戦記について知りたい方におすすめだ。
本書はアメリカ文学のファンタジー。『ゲド戦記』の第二巻。『ゲド戦記』というとジブリの映画を真っ先に思い浮かべる人がいると思うが、こちらが原作である。 一作目で自分の闇と向かい合ったゲドは、今作では主人公というより脇役的な立場にいる。今回の主人公はアルハという名前で、墓所の巫女を務めている少女だ。 物語は子供の頃から墓所にいるアルハの苦悩から、思いがけない訪問者の登場で大きく変化していくことになる。人から与えられていた立場という、安全で安心な場所から、全く何の命綱もない自由へと飛び出していくことへの恐怖、不安。そういったものが的確に描かれているように感じた。 児童文学と言われてはいるが『ハリーポッター』や『ナルニア国物語』に並ぶレベルのものであり、それらの話よりも自己との戦いの部分が大きく取り上げられている点でゲド戦記は児童書とカテゴライズするにはあまりに惜しい本である。
整頓された部屋、美味しい料理、好きな服装、そんな豊かな生活は憧れだが、現実世界では難しい。それでも、理想になるべく近い形を作るために、著者が人に聞いて実践したちょっとしたアイデアを集めたのがこの本である。私も超面倒くさがりなので、この本のアイデアは参考になるものが多かった。特にこの本は無理なことは諦めるのが良いところだと思う。楽をしながら理想に近づきたい人やちょっとだけでも変わりたいという人に読んでほしい。
本書を読んだきっかけは、2021年アメリカで最も売れたYA小説と知って興味を抱いたからです。 本書ではデスキャストという、24時間以内に死ぬ人に死を通告するシステムが存在します。死を通告された全く境遇の違う二人の青年たちが出会い、人生最後の一日をどう生きるのかを描いた物語です。 がむしゃらに生きる二人の姿がまぶしくて、どうかこの日が終わらないでと願ってしまいました。 切なさで胸がいっぱいになるラストに思わず涙が溢れます。 私たちの生きる世界にはデスキャストは存在しないので、死を通告された日にその人は何を思うのか、最後の一日をどう過ごすのか、想像することは容易くありません。 本書を通してそれを想像し、今日という日の大切さ、命を尊さを改めて感じることができる一冊です。