今日の一書 : 2019/6/6(Thu)
『 母なるガンディー 』
author : 山折哲雄
マハトマ・ガンディー 1869年10月2日、英領インドのポールバンダル藩王国(現グジャラート州内)に生まれる。 英国留学を経て、弁護士資格を得る。 1893年、弁護士として渡った南アフリカで激しい人種差別に遭遇。 そのことを契機に、差別撤廃のための運動を組織。 これが、ガンディー生涯をかけた非暴力闘争の最初の一歩となる。 南アフリカでの非暴力闘争の雛形は20余年に及び、その間、ガンディーは獄中生活も経験。 また、自分たちの運動を「サティア—グラハ(真理の把持)」と呼ぶようになる。のちにインドで展開する闘争の雛形は、南アフリカ時代に生まれていたのだ。 1915年、一定の成果を得て、南アフリカからインドに帰国。 1919年、英国のインド総監にインド人弾圧の権限を与える悪法「ローラット法」が成立。 ガンディーはこれに反対する全国的な「ハルタール」を組織。 インドにおける「サティアーグラハ」が本格的に始まる。 ガンディーが指導したインド独立運動は、流血の暴動に発展するなどの曲折を経て、1930年の「塩の行進」で一つの完成を見る。 このとき初めて、インドの民衆は無抵抗の非暴力闘争を貫いたのだ。 1947年、インド独立がついに実現したが、それはガンディーが反対しつづけたインド・パキスタンの分離独立だった。 分離独立以来、各地でイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立が激化し、ガンディーを苦悩させた。また、一部の狂信的なヒンドゥー教徒やイスラム教徒は、ガンディーの命を狙っていた。 1948年1月30日、ガンディーはヒンドゥー教過激派の青年の凶弾に倒れる。78歳であった。 (本書内容より)